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曇りガラスを 手で拭いて
あなたあしたが 見えますか~
ってか。
山茶花の花です。
赤やピンクより白が似合うと思いませんか。
『毎日新聞』11月27日付の囲み記事
【 「水不足と貧困 強い関係にある」
国連開発計画(UNDP)は、安全な水と衛生施設の不備から毎年約200万人の子どもが亡くなっているとして、主要先進国を中心に各国が解決に向けた行動計画を策定するよう求めた。
UNDPが公表した「人間開発報告書2006」によると、米国や英国では毎日水洗トイレで50㍑の水を流す人人がいるのに対し、途上国では多くの人が1日5㍑に満たない汚れた水を利用している。それにもかかわらず衛生施設に投じられる予算は軍事費に比べて少額で、エチオピアで10分の1、パキスタンで47分の1でしかない。
また水を利用できない人々の3分の1は1日の生活費が1ドル未満だが、マニラなど途上国の都市部に暮らす最貧困層はロンドンやニューヨークなどの在住者に比べて高い水道料を払っていると指摘。報告書は「貧しいために水と衛生施設が不足しているのか、水と衛生施設が不足しているために貧しいのか分からないが、水不足と貧困には強い関係がある」と強調した。
一方、水獲得をめぐる競争が武力紛争に発展する懸念が出ていることについて、インダス川の水資源の共同管理しているインド、パキスタンを例に挙げ、「国境を越えた協調活動は広がり、成功例も出ている。水の管理は平和、紛争いずれの原因にもなる」として、各国首脳の良識を求めた。 田中泰義 】
地球上の水で、真水として存在するのは2~3%だと何かで読んだ。この水が地上の生物の生命を支えている。汚せば汚すほど飲料水として利用するためのコストは高くつく。貧困層の負担は大きくなるということだ。
「安全な水と衛生施設の不備から毎年200万人の子どもが亡くなっている」という報告は、緊急の全地球的規模の課題である。
11月26日付『毎日新聞』コラム「発信箱」
大島秀利氏(環境科学部) 「象とクマ」より
【 象が突進して、人家を壊してまでほしがるような大好物はなーんだ?
ヒントは私も好きな物…。
こんなクイズを最近、自分の子どもや同僚に投げかけた。私自身が好奇心をくすぐられた記憶からだ。その答えは、象を研究するインドのラマン・スクマール博士とゴリラの専門家の山極寿一・京都大教授が先月、大阪市内で対談した際に出てきた。
お酒である。
博士によると、象は遠くからその存在を察知し、密集した人家があっても無関係な家を縫うようにしてお目当ての家にたどり着き、たるに入ったそれを飲み干すという。なぜ酒が好きになったのか! 山極教授が尋ねると、好きなフルーツが身体の中で発酵して酔いを経験しているからと思われるという。
だがことは深刻である。象が酒を確保する過程でその家が壊れ、人が死ぬこともあるのだ。
象と人間の共生を研究し今年度の「花の万博記念・コスモス国際賞」を受賞した博士はこうした衝突を軋轢と呼ぶ。軋轢は人間が農地を拡げた太古からあったと推定する。
国内では最近、ツキノワグマなどが頻繁に人里に下りてきて、軋轢が起きている。
博士は野生動物の研究から「多くの国で生じている軋轢の大部分は、お粗末な土地利用計画や、土地利用政策の欠如に原因がある」と指摘する。博士は自然資源を利用する地元の人々にも目を向け、保全事業を進めるべきだと訴えている。
野生動物との共生を図るには、インドの研究が参考になりそうだ。 】
JRの最寄りの駅から徒歩で15~20分のところにあるわが家の山にもいのしし、アライグマ、狸、雉など野生動物は現れる。柿を食べ、野菜を荒らす。来春の筍が心配だ。
どっちがどっちのテリトリーを荒らしたのか。
共存の道はあるのか。
現在の景気回復は、高度成長期の「いざなぎ景気」を超え、戦後最長となったのだそうだ。 国民の生活はどうなってる。労働者の給料は一向に増えない。労働者の権利は次第にはく奪され、ただ働き、過労死、ワーキングプア、失業、とただごとではない。 景気拡大の恩恵はだれが享受しているのか。
内橋克人氏(経済評論家)はいう。『毎日新聞』11月23日付 囲み記事
「賃上げなければ引き潮に」
【 現在の景気回復の間、企業の売上高はほぼ横ばいなのに利益は大幅に増えた。パートなど非正規雇用を増やし従業員の給料を減らしたリストラ効果が大きい。銀行の不良債権処理も公的資金と日銀のゼロ金利政策が原資で、家計から企業に所得の移転が進められた。
輸出と円安にも支えられ企業は業績拡大で貯まった資金を設備投資に充てているが、個人消費が盛り上がらないからIT関連の在庫が増えた。一方で若い人を中心に「働く貧困層」(ワーキングプア)が急増している。貧困マジョリティー(多数者)が形成されてつつあり、将来の大きな社会問題になるだろう。
企業は賃金を減らす一方で配当を増やして株式時価総額を最大化するといった考えを改め、労働分配率(もうけのうち人件費に充てる割合)を高めるべきだ。そして外需依存から、自立した経済に転換しないといけない。法人減税で企業が成長すれば家計にも恩恵が波及するという考え方は錯覚で、このままでは「上げ潮」どころか「引き潮」になりかねない。 】
「いざなぎ景気」
1965年から1970年にかけて5年近く続いた好景気。長らく第二次世界大戦後最長の景気回復期間とされてきたが、2002年1月を底に回復を続けてきた景気拡大が2006年10月時点でいざなぎ景気とならぶ57ヵ月となっている。いざなぎ景気という名称は、神武景気や岩戸景気を上回る好況という意味を込めて名付けられた。
11月22日付『毎日新聞』発信箱 元村有希子「いのち響く図書館」より
【 自殺したくなったら図書館に行こう。
滋賀県東近江市の市立能登川図書館長、才津原哲広さん(60)は、こんな発信を続けている。住民一人当たりの年間貸出冊数12冊、全国平均の3倍という優良図書館。才津原さんは構想段階からかかわってきた。
年間3万人以上が自ら命を絶つ時代だ。図書館に行って悩みが消えるものだろうか。才津原さん自身、九州から移り住んできて得た大切な人を自殺で失った。能登川のことを一から教えてくれた友人だった。無力感。だからこそ今がある。
「自殺を止めるのは難しいでも、もっと手前で生や死を考えたり、何かに出会える場所でありたいと思います」
行き場がないお年寄りも、不登校の子どもも、姑と折り合いが悪いお嫁さんも、ここを居場所、かくれ場所にしてほしいという。
図書館を訪ねた。天井が高い。木の香りがする。様々な椅子がある。窓際のソファに座って水車を眺めてもいい。畳敷きの小間もある。本を読みたくない人にも、本と出会いたい人にも優しい「休息の場」だ。
開館から9年、いろんな出会いがあった。病気で通えなくなった女性利用者がいると聞き、毎月本を届けた。末期がんの妻と夫の「二人展」を、読書スペースを3日間だけつぶして開いたこともある。
公立図書館は今、行政改革による正規職員の削減が進む。「図書館が『無料の貸本屋』になったらだめです」。図書館は地域文化の拠点、命の糧となる場であれ、と信じる才津原さんには、それがはがゆくてならない。 】
地方の公立図書館が軽視され、手抜きを始めるともうだめです。図書館という地域の文化の拠点を、どんなに苦しくても守り抜くという行政の姿勢があれば、まだ再生の可能性はあると思う。
巷間伝えられる税金のむだ遣いのことを考えれば、何ほどの負担になろうか。しかし、まずはこんなところから切り捨てて行くという発想はある。
学校図書館もそうである。各地の学校図書館の実態を見てもらってはどうか。その貧しさには驚くはずだ。図書館教育、読書指導、司書・司書教諭の配置、蔵書など。この国の教育にかける熱意のほどは分かる。
慄然! 教育基本法単独採決
【「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」という。一人がでたらめを語ると、多くの人がそれを真実として広めてしまうのだという後漢のたとえである。小泉執政の五年ぐらいこの言葉を考えさせられたことはない。
私の興味は「一犬」正体や小泉純一郎という人物のいかんにあるのではなく、「万犬」すなわち群衆というものの危うい変わり身と「一犬」と「万犬」をつなぐメディアの功罪にある。
もっといえば、二十一世紀現在でもファシズム(または新しいファシズム)は生成されるものか。この社会は果たしてそれを拒む文化をもちあわているのだろうか…という、やや古典的な疑問をもちつづけている。】
これは、芥川賞作家でジャーナリストでもある、辺見庸氏の近著『いまここに在ることの恥』 問う…恥なき国の恥なき時代に「人間」でありつづけることは可能か (『毎日新聞』刊)のなかの一節。
小泉の時代は終わった。が、安倍晋三の時代もこのたとえはもっと考えさせられる。とても「古典的な疑問」などとは言ってられない。
現職の与党の国会議員の顔を思い出してほしい。彼らが教育という国家百年の大計を決めるというのだ。
『毎日新聞』(11月16日付)社説 教育「百年の大計」が泣く、
【自民、公明両党が15日夕、教育基本法改正案の委員会可決に踏み切った。これまで私たちは再三「何のために改正するのか、原点が見えない」と指摘してきた。そんな疑問は解消されたと与党は言うのだろうか。急ぐ理由は全く見当たらないのに衆院特別委員会を野党が欠席する中、単独採決したことは将来に禍根を残すことになるだろう。
…中略…
政府・与党からすれば教育基本法改正は「百年の大計」だったはずだ。それが、国民の理解が深まらぬまま、こんな状況で衆院を通過しようとしている。今の基本法が「占領軍の押しつけ」と過程を問題にするのなら、これもまた将来「成立の仕方に疑義があった」とならないか。】
『朝日新聞』(11月16日付)社説 この採決は禍根を残す
【… 教育基本法は、未来を担う子どもたちを育てる理念や原則を定めたものだ。政権が代わるたびに、内容を変えていいものではない。
国会は多数決が原則とはいえ、与党だけで決めるのは、こうした大切な法律の改正にはふさわしくない。単独採決はまことに残念だ。
私たちは社説で、政府の改正案には疑問があることを何度も主張してきた。
今の学校や教育に問題が多いことは間違いない。しかし、その問題は基本法のせいで起きたのか。改正すれば、どう良くなるのか。教育の問題を法律の問題にすり替えているのではないか。教育基本法を変えなければできない改革や施策があるなら、示して欲しい。
…中略…
現行の教育基本法では、前文は「われらは」で始まる。戦前の天皇の教育勅語に代わって、国民が教育のあり方について意思を示す宣言でもあるからだ。
成立を急ぐあまり、肝心の国民が置き去りにされるようでは、将来に禍根を残すことになる。】
『読売新聞』の社説は「野党の反対理由はこじつけだ」といい、『産経新聞』の社説は「やむをえぬ与党単独可決」という。自民党のプロパガンダとしては当然であろう。
11月14日付 『毎日新聞』 コラム「発信箱」 文部官僚の号泣 玉木 研二
1947年3月18日、帝国議会衆議院「教育基本法案委員会」は熱気につつまれた。委員会設置目的である教育基本法案はすでに通過し、義務教育6・3制など新制度を定める学校教育法案が回ってきたのだ。
資料によると、委員18人のほぼ全員が質疑にたち、校舎や学用品がそろうのかとただした。敗戦の傷跡なお深く、東京では赤子の死亡率10人に1人以上と新聞が報じているころである。
当時の文部省学校教育教育局長が答弁に立った。
「戦争を放棄した日本は文化国家建設のため教育の徹底的な刷新改革が必要で、次代を担う青少年への期待は誠に大きいが、現状では子どもたちに教科書もあたえられない…」このようなことを語りながら彼はあふれる涙を落とし始め、ついに言葉を失い、声をあげて泣いた。委員らも涙にくれ5分の間声を発する者がなかったという。
実際、慌ただしく翌月に発足した新学制は混乱を極め、青空教室や無資格教員の中学の授業も各地で行われた。今に至る戦後の学校教育制度はこうして第一歩を踏み出したのである。
いま国会で「教育再生」を旗印に教育基本法改正審議が進められている。何も声涙下る演説をというのではないが、つい思うのだ。なぜかくも「軽い」のか。攻めるも守るも切迫した空気を欠き、語りながら子どもたちの窮状に思いをめぐって詰まる声もない。
局長の「熱涙」は帝国議会衆院本会議で審議経過に立った委員長がとくに付言して伝えた。議員の心を打ったらしい。途中2度の拍手が記録されている。(論説室)
この「発信箱」読んでいて涙がこぼれた。しかし、「なぜかくも『軽い』のか攻めるも守るも切迫した空気を欠き」といわれると異論がある。
軽いのは、提案した側にあるのではないか、まともな提案理由も示し得ず、数を頼んで変えてしまおうとする。憲法改悪のための外堀を埋めようという魂胆がありありと見える中で、ろくに論議もせず、タウンミーティングでやらせまでして押し切ってしまおうとする。子どもに対する思いなどどこにも感じない。
教育基本法を守ろう、改悪は反対という運動は、すごい勢いで広がりつつある。この思いは軽くない。