やむとみせてまた降る雨のゆすらうめ 木下 夕爾
(明治書院「新撰俳句歳時記」)
「パッチギ! Love & Peace 」 井筒和幸監督
「パッチギ」2作目をつくった井筒監督は語ります。
「声なき声が、いっぱい詰まっているんですよ、この映画には。植民地時代に、日本軍に徴兵、徴用を受けた朝鮮半 島の人たちの、声がね」
「これは僕らが勝手につくった物語じゃない。取材した事実にもとづく話です。在日の話というのは、日本の現代史 そのものですよ。でも、日本の物語は語っても、朝鮮の物語をマスコミは言わないし、教科書は教えない。歴史をき ちんと踏まえないと、本当の、友好とか共生なんてできないでしょう」
「なにを考えてんのかね、この国は」
「憲法九条の言ってることは、国民のほとんどの常識ですからね。この前の(世論)調査でも憲法は改正してもいい という人は過半数いるけれど、中身を見ると、九条を変えようと言う人はそんなにいない。九条のおかで、日本が戦後何十年、平和がつづいてきたこと、多くの国民が自覚しているからです」
「どんなことがあろうが、手を出さない。出すものがないし、出してはならないというふうになっているわけだから こんな理想憲法は、どこにもないですよ。本当に、世界遺産に登録したっていい。日本は、周りが戦争しそうになっ たら”まあまあちょっとまて”という役目をはたさなきゃ。それがいちばんカッコイイでしょ」
「戦争を起こさせないようにするのが、外務省の努めです。武器も持たず、きちんと外交努力をする国を、攻めてく るわけがない。ところが、憲法を改悪して武器の使用を認めてしまえば、戦争を構えることになる。向こうもやってやろうと思うでしょう。だから、許しちゃいけないんです」
(5月27日付『赤旗』日曜版より)
5月11日『毎日新聞』コラム[発信箱」中村秀明氏
あなたの家は、たぶん20年後に収入が大きく落ち込む。そこで今、どうするか? 「差し迫ってから考えよう」とこれまで通りに消費を続けるか。消費を控えて貯蓄に回すか。どちらを選ぶできだろうか。
人生観を知りたいわけではない。地球温暖化の影響と対策費の関係を炭塵科単純化世させると、こんなふうになるのだ。 英ブレア政権が、ニコラス・スターン元世界銀行上級副総裁に依頼して作成した報告書「気候変動の経済学」は温暖化問題を経済的な視点で分析している。かいつまめば、「対策をとらないと世界のGDP(国内総生産)の5~20%が失われる恐れがあるが、2050年まで毎年、世界のGDPの1%を対策費に回せば、その損失は避けられる」という内容だ。 国連の「気候変動に関する政府間パネル」も先週、気温の上昇を3度以内に抑える対策費は、2030年時点で世界のGDPの約0.6%との見解を示した。
家計の1%ぐらいならなんとかなりそうだが、ご近所、市町村、国、世界が歩調を合わせないと無意味なことを思えば、相当に難しい。日本だけでも年間5兆円を超える巨費だ。
「温暖化問題はかつてない市場の失敗だ」と断じスターン報告も、締めくくりは「一人一人に何ができるのかについて情報を与え、教育し説得することである」と少々煮え切らない。
日本は、来年の主要国首脳会議で「世界が2050年までに温室効果ガス排出を半減させる」との目標設定を提案するという。言うのは簡単、どうやるかが世界の難題なのだ。 (経済部)
地球の温暖化防止の課題について取り組むことは、地球上に棲む人間の焦眉の急務である。 地球上の人類がすべて亡ぼうと亡ぶまいと地球にとって何の痛痒も感じないことであろうとは思う。しかし、巻き 添えになる地球上の全存在には責任のないことである。 むしろさっさと全人類がいなくなった方が他の生物の存在にとって望ましいことなのだ。
『毎日新聞』5月11日付「経済観測」より 「開発の守旧派」
アジア開発銀行の第40回総会が京都で開催され、開発に関する守旧派の存在が明らかになった。それは、欧米諸国であり、その支援に依存する一部低所得国である。これらの国は、その意図は別として、旧植民地宗主国と植民地の関係のように、援助国と被援助国の立場。を固定化しようとしている。 こうした守旧派の存在が際立ってきたのは、何といっても、中国とインドの発展によると思われる、巨大な両国はこのところ年平均8~10%の成長を続け、石油など一次産品価格の高騰や海上運賃の高騰をもたらしている。それどころか、エネルギー資源確保のため、アフリカや中東に進出して欧米企業と摩擦を引き起こしている。 しかし中国の一人当たり国民所得は先進国の25分の1程度で、 インドのそれは50分の1にすぎない。国内に所得が1日1ドル以下の極貧人口を抱え、紛れもない発展途上国であり、国際社会として援助を続けるべき対象なのだ。しかも、両国が地球温暖化の原因となる炭酸ガスを大量に排出している以上、好むと好まざるとにかかわらず、これを改善するための技術や資金面の援助は不可欠なのだ。 ところが、欧米諸国の援助担当者は中国やインドを批判するだけで、建設的に取り組む姿勢がない。むしろ彼らはバングラデシュやアフガニスタンのような援助依存体質を温存し、永久に被援助国の地位に甘んじさせようとしている。 日本は欧米諸国と一線を画し、中国、インド、ベトナムなどアジア諸国が環境を維持しつつ成長できるような支援を惜しむべきでない。それは地球環境を保全し、日本のアジアにおける地位を確固としたものにするだろう。 (耳順)
発展と環境問題。援助する国、される国。開発だ、環境保全だといってもいままでさんざん地球を食い物にしてきた先進諸国はやりどく。いま、発展途上国が化石燃料を使い、先進諸国と同じ轍をふんだとて誰に批判できよう。何を援助するか。ということだろう。