くさぎの実である。
食べられないと思う。
葉はゆでて乾燥させたものを食べる地方があると聞いた。
葉は強いにおいがある。だから臭木。
芳香とは言い難いが臭いというのもどうだろうか。
見事な実である。さるぼぼに似ている。
白い花もきれいである。
おとといの毎日新聞コラム「発信箱」福島良典氏(ブリュッセル支局)が面白かった。そういう考え方もあったんだと。
タイトル「首の短いキリン」
《 キリンの首はなぜ長いのか?高い木の葉を食べることができた個体だけが生き残ったからーーと学校で習った。イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィン(1809~82年)が進化論で唱えた自然選択説の一例だ。
今年はダーウィン生誕200年。「種の起源」の出版150年が重なり、関連の催しが」世界各地で目白押しだ。ダーウィンが進化論の着想を得たビーグル号の航路をたどる調査航海も始まった。
進化論は社会や文化にも影響を与えている。経済や人口の規模、人種、宗教、政治団体など国々を分類する方法は多々あるが、「進化論を信じている人が多いか」で世界を色分けすることもできる。「宗教離れ」が進む北欧やフランスで8割以上、日本、インド、中国では7割以~8割弱が「進化論は正しい」と考えている。キリスト教の敬虔な信者が多い米国は約4割、イスラム教徒が多数のトルコやエジプトは3割を切る。
「神が人間を創造した」という信仰と、「人間とサルの祖先は共通だ」と考える進化論は相いれない。進化論で科学の地平は開けたが、否定派が鳴らす警鐘にも耳を傾けなければいけない点がある。適者生存の論理を人間に当てはめることの危険だ。
進化論から、優秀な人間を人為的に作り出そうとする優生学が生まれた。世界恐慌の社会不安に乗じ、それを暴力的に政治利用したのが、アーリア人優越主義を取ったヒトラーのナチス・ドイツだ。
グローバル化時代の不況に、欧州の一部では「自分さえ良ければいい」という排他的な空気が頭をもたげる。首の短いキリンも普通に暮らせる社会を如何に作るか。人類に課せられた共通の挑戦だ。》
ダーウィンの進化論を信じることができるかどうか、が科学と信仰を対立させているようであって、人間はそれを許容し生存してきた。人間たるゆえんだ。
どちらかでなければならないとするとき人類は滅ぶ。戦争が絶えないことの原因のひとつであろう。
適者生存というのは恐ろしい発想である。
後期高齢者医療制度、障害者自立支援法、など弱者切捨ての論理と政策がよく理解できた。