
さくらんぼの花です。
在来種のさくらんぼです。
全く手入れをしないので実のつきはよくありません。
小粒の実です。
花も地味です。
桜の仲間では一番開花が早いでしょう。
ソメイヨシノも開花が早いだろうという予測です。
花見のシーズンもずれてしまうのでしょうか。
三セク 無責任経営の果て
近ごろ、税金のむだ遣いの検証と称して、巨大な廃棄物と化した地方自治体の三セクがらみのハコモノ、娯楽施設、遊具、交通手段などの無惨な姿が報道される。
だれが潤ったのか知らないが、ここにきて教育、福祉、医療などを切り捨て、ツケの支払いに庶民の生活が犠牲にされている。ことは夕張市のみではない。
以下は『毎日新聞』(2月20日付)経済欄コラム「経済観測」より、
【 昔、高名な女優がバーナード・ショーにラブコールした。「あなたの知性と私の美貌を備えた子どもが欲しい」と。返事は「せっかくだが、その逆の組み合わせを考えると。あしからず」。
世に言う第三セクター(略称三セク)も同じだ。お役所と民間がチエとカネを出しあって規制に縛られぬ組織をつくる。中曽根行革あたりから雨後のタケノコ(ごめんなさい)のように生まれたが、結果は死屍(ルイルイ)。
フレコミは官僚の組織と民間の創意工夫のハズだったが、無責任経営の果ては借金証書の山。
不良債権は貸した方にも責任あり、銀行の弁解は「都道府県が50%以上出資しておれば一心同体」と。そりゃ都住宅供給公社は東京都と無関係ではない。が、それが盲点。
地方団体はセッセと公社、三セク作りに精を出し天下り先、ノーチェックの利権ダネの拡張へ。
借入金にしても、「保証するとは言わぬが魚心あれば」と指定銀行のエサをちらつかせれば水心のない銀行などあるものか。
かくして公社、第三セクターのかくれ借金は16兆円に達した。ケタが大きすぎて庶民の感覚に合わなければ地方税収入の4割にあたる額である。
表にでた国債、地方債の残高だけでも精神衛生にはよくない。坊ちゃん総理は「美しい国」とハシャイでいるがそのツケ、廃棄物にも気を配らなければ。
総務相は05年度決算分から公社、三セクの債務を一括公示するよう求めているが、そこまで地方自治体財政を悪化させた責任は。首長、収入役、各議会はマサカ「知らなかった」ではないよね。「それこそ三セクのメリット」というなら別だが。 (三連星) 】
安倍晋三首相はどんな国をつくろうとしているのか。
累々たるバブルの残骸、ワーキング・プア、子どもを産んでも展望を持って育てられない国、どういうビジョンで 克服していくのか。さっぱり見えてこない。
2月16日付『朝日新聞』金融情報欄のコラム「経済気象台」は『「眼高手低」論考』として次のように書く。
【 安倍内閣のスローガンは『美しい国作り』である。その第一条件は、この国を豊かで安全なものにすることで あろう。
天然資源の少ない日本を豊かにする方法はただ一つ、大いに産業を興して世界に輸出するしかない。企業のため、 他の国に負けない環境条件を整えてやることが大切だ。グローバル化した時代、企業はこの国から出て行くかもしれ ないーー。
ここまでは誰も反対はしないだろう。だが、企業減税分を、消費税など個人増税で賄うことになれば、話は別であ る。バブルの発生と崩壊を手をこまねいて見ていた官僚や学者たちが、再び物知り顔に経済成長の旗を振っているこ とに国民は不信感を持っている。今、国民の持っている不安は再び政府に裏切られるのではないか、ということであ る。
戦時中、「欲しがりません勝つまでは」という有名なスローガンがあった。国民は政府の言うことを信じて我慢に 我慢を重ねた結果、敗戦と生活の破綻が待っていた。
一方、池田内閣の時代には「所得倍増計画」というのがあった。国民は汗して働き、歴史にもまれな高度成長を達 成したのである。今にして思えば、あのスローガンが広く世の中に受け入れられたのは、視点が企業ではなく、国民 生活にあったからだ。
「美しい国」と大上段に振りかぶったものの、具体的に何を目指すのかが抽象的な安倍内閣は、どうも「眼高手低 」の気味がある。政策を実施することで、国民にどれだけのリターンがあるか明確に示し、実現できなければ責任を 取るという姿勢が肝要だ。
「いささか脇の甘さがあって、内閣の支持率は下降中である。若い内閣だ。未熟による失敗もあるだろう。くじけること はない。もう一度、国民の視点に立って「美しい国」の骨格を練り直して欲しいものだ。 (可軒) 】
脇の甘さ、若い、未熟による失敗などという言葉で片づけられると納得は行かないが、視点を国民の生活において 練り直す、という趣旨に賛同する。
ニセ科学と大リーガー
『毎日新聞』2月14日 コラム「発信箱」本日は元村有希子氏。
日本人がニセ科学に踊らされる様子をニューヨーク・タイムズにからかわれるのは、些か片腹痛いという思いがするが、元村有希子氏の指摘は当然であろう。「あるある大辞典」の例もある。
以下元村氏のコラム。
「O型大リーガー」
松坂大輔選手がボストン・レッドソックスへの移籍を決めた時、米ニューヨーク・タイムズが「O型の日本人大リーガーと変な科学」という読み物を載せた。
いわく、日本人で最も多い血液型はA型なのに、松坂選手のほか松井秀喜、松井稼頭央、井口資仁の各選手も0型である。そして「日本では、マクドナルドでテリヤキバーガを頼むのと同じぐらい(これは誤解)血液型で人格を予想することが普通」と続く。ちなみに野茂英雄選手やイチロー選手はB型、新庄剛志選手はA型だ。例外も無視できない。
もとより、血液型と性格の関係に科学的根拠はない。「O型の選手は大リーガーとして成功する」という説はウソである。
本紙科学面の連載「理系白書」は、こうした「ニセ科学」を取り上げ、どう付き合えばいいかを考えている。反響の中には「ニセか科学と決めつけるなら、ニセ科学であることを証明すべきだ」という意見も少なくない。
ほとんどの場合、それは不可能だ。なぜなら、提唱者が実験の手法もデータも公開せず、恣意的に導いた結論を公表することが多いからだ。科学的な実験をしているかも不明だ。
科学的であるということは「提唱者が実証し、同じ条件なら誰がやっても同じ結果が出る」こと。それができないものは科学と呼ばれない。
これが[ニセ科学」の分かりやすい見分け方である。
(環境科学部)