【日本では、若者が教育を受けるのに大金を払わなければなりません。これは情けないことですね。文明国として悲しい。
「こんなに学費がかかるのでは、子どもは一人で精一杯。二人目なんて考えられない」という声を耳にします。教育費の高さは、少子化の一因にもなっています。
ぼくは一九九八年から九九年にかけて一年間、学術交流で招かれ、ドイツに暮らしたことがあります。ドイツの大学では、入学金も授業料もただでした。
招いてくれたフンボルト財団は、僕たち夫婦の往復の旅費を出してくれ、好きなところで好きなように滞在させてくれました。日本では、外国の学者を招くと「どこそこでいくつ講演してほしい」などと事細かに要求しますが、ドイツではそうしたことは一切ありませんでした。そのくらいゆとりある学術交流というのが大切ではないかと思いましたね。
二〇〇二年、日本の国立大学を独立行政法人にするかどうかをめぐり大きな議論が起こっていました。このとき僕には心配がありました。大学が「独立採算」に躍起となり、利潤をあげることに一生懸命になるかもしれないということです。産学協同をやるあてがない学部もあります。そういう〝稼げない〟学部が冷や飯を食わされることになれば、若い人がそういう分野に進まなくなる。最近の流れを見ていると、心配したとおりになっています。地方の大学は地元の産業との連携に血眼になっています。
かつては国立大学に、国から教授一人当たり年数百万円の講座研究費が出ていました。これである程度、基礎的な実験や研究がやれたのです。
ところが、法人化後は大学への交付金が年々減らされているうえに、学長や学部長が特定のプロジェクトに使う予算などに優先的に回されてしまう。ある大学では、教授が受け取る基礎研究費が年間二十数万円だといいます。これでは郵便代にしかなりません。
ドイツでは、政府がマックスプランク協会という組織に多額の資金を出し、基礎研究の振興に当たっています。その協会から指名を受けた研究者は、年間一億円ほどの研究費が出ます。日本とは全然違います。
・・・中略・・・
若い人をきちんと教育するということは、次の時代の、その国の繁栄を約束するものです。これをちゃんとやらないというのは、ばかげた話だと思う。国家としては「国のさらなる繁栄のための投資だ」と考え、若い人の教育のために予算をしっかり使うべきです。】
(6月29日付 「しんぶん 赤旗」より)