千日紅 花言葉は「終わりなき友情」だそうです。
近所の畑にいっぱい!
昨夜、NHK衛星第2放送で映画「ヒトラー最後の12日間~」が放映された。以前から話題になっていたようだが、映画を見なくなって久しいので初めて見た。すごい映画だと思った。 是非、再放送されればよいがと思う。 この映画は、ユンゲ・トラウデルという女性が書いた記録『私はヒトラーの秘書だった』という書物の映画化である。 検索してみると(まえがき・楽天ブックスの紹介など)
《 ユンゲ,トラウデル(Junge,Traudl) 1920年、ミュンヘン生まれ。1942年末から45年までアドルフ・ヒトラーの秘書を務める。戦後、一時ソ連の収容所に送られたのちは、『クイック』誌の編集長付秘書などの仕事を経てフリー・ジャーナリストとなる。2002年2月11日、ガンのため死去。
ヒトラーが自殺するまでの二年半のあいだ、独裁者のお気に入り秘書として働いていた女性が、ヒトラーの素顔や側近たちとの交流、そして独裁者が愛した平凡な日常をありのままに書き記した貴重な記録! 》だそうである。
映画の最後でユンゲ氏自身がインタビュウで言っている。 『あの当時私は若かったから、よくわからなかったという言い訳をすることはできません。よく目を開いて見ておかなければならなかった。後であのようなことがおこっていたということを知った』というような意味のことを話していた。 このシーンを見ていてすぐに思い出したのは元西ドイツ大統領ヴァイツデッカーの1985年5月8日の演説(『荒れ野の40年』岩波ブックレット)である。その一節、
《 人間の罪には、露見したものもあれば、隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きて来た方がた、その人たちは今日、一人びとりが自分がどう関わり合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
今日の人口の大部分はあの当時子供だったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない犯罪に対して自らの罪を告白することはできません。 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る質素な荒布の服を身にまとうのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻み続けることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのです。 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり,起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。 》
過去を心に刻み続けること。このことである。 日本には今、「後になって過去を変えたり」「起こらなかったこと」にしたい人たちがいる。政治家や教育行政に携わる政府高官は何を意図しているのか。
かつて第1次世界大戦に敗れたドイツがその歴史に学ぼうとせず、誤った歴史を若者に教え、それがひいてはヒトラーの台頭をゆるしたという二重の過ち。
映画の中で、ドイツ軍の将軍たちが国民の悲惨な状況について語る時「自業自得だ。彼らが選んだのだ」という場面が二度ほどある。
我々もまた、正しい歴史を学び、それを心に刻もうとしなければ再び悲惨な状況が待っているのではないか。 沖縄の、南京の、従軍慰安婦その他の、歴史を歪めてはならない。
「自業自得だ。彼らが選んだのだ」と後世の者に言われぬために。
高校日本史教科書からの、「沖縄『集団自決』日本軍強制の削除」は、許すことのできない大きな問題である。