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昨夜の雨、桜の落ち葉がいっぱい。
春の落花の風情も悪くないですが、桜の紅葉が今年はわりときれいで落ち葉もいいなと。
ミシュラン
11月23日付『毎日新聞』コラム「発信箱」は「三つ星店の味わい」というタイトルで経済部中村秀明氏。
「三つ星店の味わい」
「権威ある」とはいえ、ミシュランガイドも企業戦略の一環である。
1900年、発売間もないタイヤの宣伝をかね、旅の役に立つパンフレットを配ったのが始まり。自動車旅行が珍しい時代、少しでも遠くへ、ちょっとでも寄り道させる狙いだった。
二つ星の説明が「遠回りしてでも訪れる価値がある」なのは、どんどんタイヤを摩耗させて欲しいのだと読める。
きのう発刊の東京版は計191個の星がつき、パリの97個、ニューヨークの54個を超えた。AP通信は「パリを美食の都の地位から引きずり降ろした」と報道したが、ランキングで食べることに目がない日本人への営業戦略がのぞくし、マンネリ打破の話題づくりもあるのだろう。
戦略にまどわされるあまり、過去に事件も起きている。格付け低下を恐れたとみられるシェフが自殺したり、三つ星を維持するために多額の投資をして破綻した店もあった。ミシュラン自身も開店していない店を掲載(つまり味見もせずに紹介)し、あわてて本を回収したこともある。
東京で星をもらった150店は、縁のなさそうな店がほとんどで、正直ピンとこなかったが、この人の言葉は味わい深かった。
「目と手と気持ちの行き届く範囲でしか、自分の料理は作れないんです」。三つ星をもらった麻生の日本料理「かんだ」の主人・神田裕行さん。
カウンター中心の小さな店でNHKの取材に語っていた。
料理に限らず、あらゆる商売の原点がここにあると思った。思わず「ごちそうさま」と言いたくなった。
「吉兆」初代の湯木貞一さんも同じ気持ちだったんだろうけどなあ。
星のついた店、行ってみたいけどほんとに縁のない世界である。
晩ご飯一食何万円ぐらいとられるんですかね。
昨日、11月13日付毎日新聞』のコラム「発信箱」、
論説室、玉木研二氏。
「番付」
九州場所で東京の両国かいわいに今力士たちの姿はなく、少々寂しい。相撲博物館で「番付の250年」展を見た。
力士の番付のほか、人気商品などのランク付けをする「見立(みたて)番付」が古くからある。時代の空気を伝える貴重な史料だ。「馬鹿(ばか)の番付」といういささか異様な、興味深い番付を見た。明治初めごろ、佐田介石が編集したという。熊本の人、舶来の思想と品を徹底排撃した僧侶である。
現代仮名遣いにして一部を紹介すると--。
東の大関は「米穀を食わずしてパンを好む日本の人」。小結に「輸出入の不平均を論じて西洋料亭に懇会を開く議員」。前頭には「馬の小便でも舶来の瓶にさえ入れたれば、結構な薬だと思う人」とか「国産の凧(たこ)を捨て、ふくれ玉を弄(もてあそ)ぶ日本の童」……。
ふくれ玉とはゴム風船のことか。子供にまで容赦ない。西の前頭には「ペロペロと洋語で国家の経済を論じて、我が一身を修めかねる演説先生」。今の世にも痛烈な皮肉の矢に使えそうだ。
時津風部屋の騒動で急ぎ前頭時津海が親方を継いだため九州場所番付表は1行空白に。相撲字は押し合う力士の姿と客の大入りの願いを込める。空白は目に染み、今日の角界の危機を無言で語る。
「馬鹿の番付」が作られた明治の初めころ、鹿鳴館の猿まね舞踏にうつつを抜かす欧化主義者たちは、伝統の相撲興行を「野蛮な裸踊り」と排撃したがった。近代相撲界最初の危機だった。
その後何度も危機を乗り越えた。今度もできるはず、と異形の「空白番付」は気合を入れていると思いたい。
相撲のことはとりあえずおいといて、似たような馬鹿の番付作れそうだ。
喰う馬鹿、しゃべる馬鹿、脱ぐ馬鹿、何かにかぶれる馬鹿、本当の馬鹿、馬鹿と気づいていない馬鹿、勉強のよくできる馬鹿など。
「吉兆」さんよ
「 わが一生の大切な一食
何度も申しあげていることですが、日本料理と限らず、世界中どこの料理でも、人の食べるものというのは、作ってから食べるまでの距離が近いほど、値打ちがあるのです。
うちでも、時々急いで出かけるとき、たとえばあなごがあったら、五つ六つ、にぎってもらうことがあります。
それがふしぎなことに、そのにぎったのをお皿へ盛って、番茶をそえて持ってきてくれるのと、こちらから板場へ出ていって、目の前でにぎってくれるのとでは、どういうわけか味がちがう、にぎり立てのほうが気分もいいし、おいしいのです。
時間でいったら二、三分も違いません、距離でいえば二間ほど、三メートルか四メートルでしょうか、それだけのことですが、食べてみるとあざやかに違うのです。そのへんが微妙で、鮮度のちがいといったって、それだけでは説明がつきません。これはやはり食べる人の神経でしょうね。
天ぷら屋さんも、揚げたのをすぐ食べてもらうようにしています。うなぎ屋さんも、忙しい店は〈しらいれ〉といってさきに焼いておいて、お客さんが来られたら、むして、焼き色をつけて出しますが、これとお客さんの顔を見てからさいて、焼いて、むして、焼き色を付けて出すのとでは、かなりちがいますね。
うなぎなんか、時間がたつほど厚みがちがってきます。
朝、吸い物のだしを百人前つくって、ちゃんと味の加減をしておく、お客さまが見えたとき、それを人数分だけぬくめて出せるといいのに、あんたのようにいちいちそのたびにかつおぶしを削って、なんてことをしていたら、いまどきあわないね、とあきれたようにいわれたお客さまがありましたが、そんなことしたらお客さまが来てくださらなくなります。
私のほうでは、三人前なら三人前、お客さまの顔がそろってから昆布だしをとって、かつをぶしを入れて三人分のだしを作っています。これでないとどうしてもお椀の味がちがうんです。」
これは、「吉兆」創業者にして日本で第一級といわれた料理人湯木貞一氏の『吉兆味ばなし』(暮らしの手帖社刊、 昭和五十七年発行、花森安治氏が湯木氏の話を聞き書き、編集・企画したもの)のなかの一節。
湯木貞一さん、亡くなられてからもう何年になるかな。お気の毒と言うほかない。
「吉兆」などという料理屋さん、私には一生縁はないが。
ところで花森安治さんって知らない人多いんだろうけど面倒なので説明はしません。検索して下さい。
今日のおすすめコラム
11月6日付『毎日新聞』 経済観測 コラム 「三連星」
「ねじれよきかな」
日本の国会はご存じのように衆議院は自民、参議院は野党が過半を制している。いわゆる「ねじれ現象」を呈している。 せっかく衆院でパスしても参議院でストップをかけられる。改めて3分の2以上の賛成を得れば、参院の反対は無効となるのだが、国民、ジャーナリズムから「数の横暴」と非難されるのは明らかだ。数の論理こそデモクラシーなのですけれどね。 これでは国政は渋滞すると言うので党首会談が行われ、大連立が話し合われた。そう言えば、民主党の党首はかつて自民の剛腕幹事長で次期総裁の品定めまでしたご仁である。別居している方が不自然だ。 ただし、ねじれはそんなにワルいものか。米国の大統領は日本のように国会議員が選ぶのではなく、国民の投票だから、国会勢力、特に上院と大統領は所属政党を異にすることが多い。 米国では、これこそ良識の反映と自賛する。米国人なんでも「ママと星条旗とアップルパイ」ではないが、世界一と思っている。いわく。 米国の大統領は3軍の長であり、想像以上のパワーがある。三権分立はその歯止めのわけであり、なかんずく野党が過半数を占めていることは米国民の本能的な良識のあかしだ、と。 それでも米国の所業、あまり賢明とは言い難いが、もしブッシュ・ジュニアが国会の追い風を受けていたらと想像すると、スリルがある。 日本でも支持率70%、80%を誇った細川、小泉政権がナニをしてくれたか。それ以前に大政翼賛会、果ては軍部にまで支持された近衛文麿公爵はA級戦犯になるのがイヤで毒をあおった。福田サン、「新体制」というコトバはイヤーナ前例があるよ。(三連星)
大連立だと!やっぱり一つ穴の狢(むじな)か。
合従連衡というようなことが好きでそのこと自体が目的になっちゃった。
合従連衡ってこんなところで使うのはいいのかな。と迷いつつ。
先ずは今日の記事を読んで見よう
11月4日付『毎日新聞』 コラム「発信箱」
広岩近広氏(専門編集委員)
《 「汝を知れ!防衛省」
防衛情報のネット流出、パチスロ代ほしさに指揮官が汚職、痴漢や公然わいせつ事件もあった。大きなスキャンダルが明るみに出るまでに、たいがい組織の腐敗はすすんでいる。防衛省は格上げされた時すでに病んでいたようだ。
インド洋における海上自衛隊の給油量の誤りを認識しながら、隠していた。補給艦の航海日誌は一部が破棄されていた。誤って裁断したというが,にわかに信じがたい。それほど組織の信用は失墜している。
事務次官という防衛行政のトップにあった守屋武昌氏は証人喚問された。防衛専門商社からの接待漬けについて、守屋氏は自衛隊員倫理規定違反を認めて謝罪した。白々しい。防衛疑惑の根は深いのではないか。私の実感である。これで国防は担えるのか、と指弾されるのも当然だろう。
海外で任務に就いている一人一人の隊員のことが案じられる。現代平和学を築いたノルウエーの平和学者、ヨハン・ガルトゥング氏は今秋に来日した折、こう強調していた。「世界は自衛隊を軍隊と見ています。それもアメリカ軍と行動を共にする軍隊です。だから常に危険が伴っています」
イラクへの自衛隊派遣は幸い事なきを得たとはいえ、霞ヶ関で想像する以上に海外は危険に満ちていよう。そこで活動する隊員たちは命令一下で行動する。いわば命を防衛省に預けているのだ。防衛省とは、そういう厳しさが求められる組織である。この点を強く認識していれば組織は腐るまい。「汝を知れ!防衛省」。私はそう声を大にする。 》
おまけに、防衛省幹部には、GPS付きの携帯電話を持たせようかと検討しているらしい。笑っちゃいますね。まるで幼稚園児だ。
こんな連中に莫大な防衛費と世界有数の軍事力をまかせておいて大丈夫なはずがない。恐ろしい。