小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

K-BALLET COMPANY 『マダム・バタフライ』

2019-09-29 09:36:44 | バレエ
K-BALLET COMPANY20周年記念公演『マダム・バタフライ』の初日(9/27)をオーチャードホールで鑑賞。華やかなセレブレティがゲスト席に散見される中、世界初演の舞台が幕を開けた。浮世絵風の洋風の装いの女性の顔と、着物を着た女性の顔が二重写しになった絵が描かれた幕が現れ、「君が代」をアレンジした旋律が冒頭に奏でられた。暗がりの中、幼いバタフライは父が「ミカドからたまわった剣」で、自決の前の剣舞を踊るのを見る。その剣は、蝶々の手に握らされる。父から娘へ引き継がれる「武士道」の精神を表現するプロローグである。

第1幕1場はアメリカで、陽気な水兵たちが紅白の旗を持ってバーンスタイン・ミュージカルのように軽快に踊る。エリート海軍士官のピンカートン(堀内將平)が、やがて妻となるケイトと出会い、恋をする「前史」的なストーリーが描かれ、ここでのピンカートンはノーブルなジークフリート王子かジゼルのアルブレヒトのようだ。ケイト(小林美奈)と友人たちは、やや身分の怪しい雰囲気を醸し出しながらも華やかで、優美なクラシックのステップや跳躍で「西洋美」を表現する。ドヴォルザークの「弦楽セレナード」の旋律が聴こえてきたが、チェロパートを強調した編曲版に聴こえた。マノン・レスコーの時代の装束を思わせる女性たちのカラフルなドレスが眩しく、照明も明るい。このシーンで熊川さんがプティパ以降の「バレエの定式」に引き寄せたドラマ作りを提示してきたことを強く感じた。

第1幕2場は長崎の遊郭で、この地に赴任してきたピンカートンが二人の海軍士官をともなってふらふらと迷い込んでくる。このシーンでプッチーニ・オペラの『蝶々夫人』の冒頭のフルオーケストラが鳴ったので驚いた。ピンカートンが一人ではなく、若者3人で遊郭にやってくるのは、キャピュレット家に潜り込むロミオを思わせる。あとの二人はマキューシオとベンヴォーリオなのだ。オペラでピンカートンが胸ときめかせて歌う「Amore o grillo」の旋律に乗せて、3人の若者が酔っ払いながら踊る場面が面白かった。遊郭の艶やかさを演出する、花魁(中村祥子)と女性群舞の舞いは魔法のようで、黒いトウシューズのポワントが花魁の下駄を表現してたのも強烈なインパクトだった。
 第2場では、シャープレス(スチュアート・キャシディ)、スズキ(荒井祐子)、ゴロー(石橋奨也)も一気に登場するのだが、バレエのための登場人物だと頭を切り替える必要があった。オペラの中では、シャープレスは遊郭に来るような人物ではないし、スズキは地味なお手伝いさんで置屋の女将ではない。そうした「オペラ的雑念」を一掃すると、可憐なバタフライ(矢内千夏)の登場シーンから純粋なラブストーリーを楽しめるのだ。花魁の動きに蝶々さんの身の上語りの旋律を被せ「もしかしてこの花魁が蝶々さん?」と思わせておいて、幼い本物の蝶々さんを登場させるあたり、演出の「駆け引き」が絶妙だった。

シアターオーケストラトーキョーと指揮の井田勝大氏は、プッチーニのスコアからバレエに必要なモティーフを注意深く取り出し、ランチベリー風に編曲したり、声楽パートを管楽器に置き換えたりして効果を出していた。井田さんは音楽監督も務めているが、おそらくビゼーの『カルメン』より『蝶々夫人』は何倍も悩んだのではないか? カルメン、ホセ、ミカエラ、エスカミリオという構成に比べて、バタフライではメインの登場人物の性格が複雑で、途中から急に変化したり、基本の気質に自制がきいていたりする。その中で、とても重要な「正解」のフレーズが取り出されていた。地味な役割に思えるシャープレスはいくつも重要なモティーフをオペラで歌うが、ピンカートンに注意を促し、不幸の予感が的中したときに再度登場する1幕の二重唱のモティーフ、2幕で繰り返し使われたスズキ、ピンカートン、シャープレスの三重唱のモティーフ(これは「君が代」と「星条旗は永遠なれ」が融合・転回したメロディで、オペラの中で最も美しいのではないかと思う)は、バレエにも大きな深みをもたらしていた。

矢内さんの蝶々さんは繊細な情緒があり、軽やかで若々しく、ピンカートンとの結婚式のシーンで見せるお転婆な表情も自然で、儚げなシルエットを引き立てるコスチュームも似合っていた。2幕での「3年後のバタフライ」では、髪型も変わり洋装で、別人のようになる。この別人への変身が、素晴らしかった。バレリーナは天性の女優である。オペラでは「残りのお金も尽き果てた」という幕で、スラム街のような舞台仕立てになる現代演出もあるが、熊川版では室内の調度品などはそのままに、時間の経過をバタフライ一人に表現させる。長崎の富豪ヤマドリも、ここでは若い日本人将校(山本雅也)が演じ、バタフライは大いに心揺さぶられるが、不在の夫と息子の愛に引き裂かれて諦める。スズキはその姿を見て同情する。

ケイトとともに再び日本に上陸したピンカートンが見たのは、バタフライの怒りや悲嘆ではなく、すべてを「運命」と呑み込む、巨大な愛だった(プッチーニの三重唱の音楽がここで生きる)。ケイトは完全な悪役で、ガムザッティのような威力を発するが、バタフライはここで「どのバレエヒロインでもない」存在であることを証明する。復讐もせず、呪詛の言葉ももたないまま、愛をひたすら内向させ、赦す。「西洋の人」ピンカートンは一度も見たことのない愛に驚愕するのだ。
 配役表のクレジットには原作のジョン・ルーサー・ロングと演出・振付・台本の熊川哲也の名前があるが、オペラ台本作家のイッリカ/ジャコーザの名前はない。音楽はオペラから多くを得ているが、物語はそこに依拠していない。日本人が新たな日本のヒロインを作り出した信念のバレエだった。『カルメン』も『クレオパトラ』も「この女性たちは熊川さん自身ではないのか」と思ったが、バタフライもそう思えた。少なくとも「分身」ではあるはずだ。父から引き継いだ剣で自害し、その剣が息子にまた引き渡されるラストが心に残る。あの場面は、恐らくとても重要なものだ。
休憩1回を含め、トータルで2時間30分。初日は和装の熊川さんの登場に、スタンディングオベーションも巻き起こった。振付のディテールや音楽の使い方を確認するためにも、もう一度観たい。オーチャードホールの公演は9/29まで、東京文化会館では10/10~10/14に上演される。