小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

英国ロイヤル・オペラ『ファウスト』(9/12)

2019-09-14 08:38:53 | オペラ
英国ロイヤル・オペラ『ファウスト』の来日公演を東京文化会館で観る(9/12)。初日は当日券売り場にも長い列ができたらしく、客席は見たところ9割方埋まっていた。記者会見では音楽監督のパッパーノが「METなどでは頻繁に乗る人気作」と紹介していたが、日本ではなぜか上演回数がそれほど多くない。一度きりだった2008年のパリ国立オペラの来日公演でも『ファウスト』は上演されなかった。個人的に、ライブビューイングやDVD以外で生の『ファウスト』を初めて観る貴重な機会となった。

タイトルロールを歌うヴィットリオ・グリゴーロは、来日リサイタルは何度か行ってきたが、本格的なオペラで日本上陸するのは初。デビュー間もない頃はポップス出身のレッテルを張られ、そのイメージから抜け出すのに苦労したが、根性と信念の人で今ではオペラ界のスターのひとりとなった。ホフマンにしてもネモリーノにしても200%の熱意で取り組む歌手で、白髪のウィッグつけた老ファウストが本当に彼だとはすぐに分からなかった。老いた声を出し、演技も本物の老人のようだ。メフィストフェレスとの契約で若返りを果たす場面は鮮やかで、老人からいつものグリゴーロに戻った瞬間、ぴょんぴょんジャンプして大はしゃぎだった。
 メフィストフェレス役のイルデブランド・ダルカンジェロは登場の瞬間から圧倒する存在感があり、バス=バリトンの闇を思わせる美声で空間を埋め尽くした。立ち姿にカリスマ性があり、フランス語も自然に歌う。グリゴーロもフランスオペラ(ホフマン、ロミオ等)を頻繁に歌っているだけあってディクションは高水準だったと思う。パッパーノは歌詞を大切にする指揮者なので、稽古の段階でブラッシュアップされるのだろう。
 2幕ではマルグリートの兄ヴァランタン役のステファン・デグーが歌う「出征を前に」でいきなり心を鷲掴みされた。バリトンの魅力満載で、ロイヤルはこういう凄い歌手も脇役に揃えるのかと驚いた。マルグリートのレイチェル・ウィリス=ソレンセンはロール・デビューらしいが、若さにそぐわぬ成熟した歌唱と演技で、声に仄暗い影がある。ソプラノというよりメゾに近い印象の声質だが、ドラマティックで重いというのとも違う、メランコリックでミステリアスな響きで、前半のやや抑制された演技が後半で爆発していく様子が圧巻。リサイタルでもよく取り上げられる「宝石の歌」も華麗なだけでない、この歌手ならではの理念を感じさせる解釈で、大物感があった。

若さを得たファウストがマルグリートに愛を迫る3幕では、「この清らかな住まい」を筆頭にグリゴーロのロマンティックな歌唱が光る。『トスカ』の牧童としてデビューし、カヴァラドッシ役のパヴァロッティから可愛がってもらったというエピソードを読んだことがあるが、黄金期のテノールの華やかさをどこかでイメージしているのかも知れない。「ジュ・テーーーム」とフェルマータをかけるところも臆面がないが、現代的なバランス感覚もあって、聴かせどころをエスプレッソのように凝縮させている箇所がたくさんあった。高音箇所での思い切ったクレシェンドなどがそれだが、射撃の名手のように一度も外れなかった。客席から熱気を引き出す天才なのだ。

1幕・2幕・3幕まで2時間通しで演奏され(短い場面転換あり)、オーケストラの集中力とスタミナは特筆すべきものがあった。2002年から続くパートナーシップで、完全に指揮者とオケが一体化している。これはスタートラインから奇跡が起こっていたわけではなく、パッパーノいわく「5年単位で進化してきた」成果だという。木管の柔らかな表現はマルグリートの美を細密画のように表し、金管は初日こそやや残念な箇所もあったが誠実でダイナミックだった。弦は呼吸するが如しで、歌手たちのバイオリズムと完璧にシンクロしている。歌劇場オーケストラというのは、そういうものなのだろう。言葉のひとつひとつに吸い付くように、音楽が溢れ出していた。

後半の4-5幕はひたすら衝撃的だ。デヴィッド・マクヴィカー演出は2004年のプロダクションだが、ゲーテの時代のドイツではなく、グノーが作曲をした1850-1860年代のパリを舞台にしており、プロジェクションなどのハイテクをほとんど使わず生の舞台のスペクタクルの醍醐味を見せた。チャールズ・エドワーズの装置は秀逸で、舞台上方にパイプオルガンを作り、ファウストに演奏させる。グノーが聖職者をめざし、オペラに教会音楽のイメージを投影していたことを視覚化しているのだろう。でも、そうだとしたら…『ファウスト』はすさまじい「罪悪感」のオペラだと思う。色欲への断罪というものが容赦なく行われ、ファウストの若さへの渇望には最大限の罪が与えられる。
マクヴィカー版はグノーが書いた7曲のバレエ音楽をすべてカットせずに演じ、ゾンビなジゼル風の異様なバレリーナたちが大活躍した。その中には、身ごもったマルグリートもいる(ダンサーが仮装している)。兵士たちがバレリーナと酒池肉林の踊り(?)を見せ、その中にマルグリートの狂気が浮かび上がる様子は本当に恐ろしかった。5幕のワルプルギスの夜では、メフィストフェレスのダルカンジェロもヒゲのマダムとなり艶やかなカクテルドレス姿で歌う。狂気と退廃と悪魔的なるものの貪欲な表現は、日本人にとっては消化するのが難しいほど手ごわいと思えたが、その衝撃こそがロイヤル・オペラ版『ファウスト』の爆発的な感動に直結していた。

全5幕のグランド・オペラは耳慣れた曲も多く、心が華やぐ瞬間が時折訪れた。「メフィストフェレスのセレナード」は中でも愛着のある歌で、ホロストフスキーやアーウィン・シュロットの録音でよく聴いていたが、生で聞くダルカンジェロの歌がなんといっても最高だった。確かシュロットとダルカンジェロは英国ではダブルキャストだったはずである。エッティンガーの指揮で、ファビアーノ、シュロットの公演を現地で観ていた方は「日本公演のほうが断然いい」と興奮しておられた。引っ越し公演はチケット代も高価だが、リハーサルや調整に十分な時間をかけ、ベスト・キャストがベストなコンディションで歌ってくれるのなら、それだけの価値があるということになる。
 高水準な上演を支えているロイヤル・オペラの根幹にある「真摯な働き者の精神」に触れ、木霊のような神秘的な合唱、職人肌の指揮者とオケのパーフェクトな演奏にただひたすら驚いた。2010年、2015年と引っ越し公演を聴いてきたが、19年目のパッパーノとオペラハウスはますます純粋で高貴な境地に達していると思えた。『ファウスト』はあと3回上演が行われる。

photo: Bill Cooper