ゲヴァントハウス管弦楽団のサントリーホールでのコンサート(5/28)を聴く。プログラムはショスタコーヴィチ『ヴァイオリン協奏曲第1番』とチャイコフスキー『交響曲第5番』。ゲヴァントハウス管は1961年の初来日から数えて25回目の来日となるという。
この日の午前中に行われた記者会見で「2018年にカペルマイスターになってからは初めての来日」と語っていたネルソンス。いつもながら率直で裏のない人柄で、ソリストのバイバ・スクリデとともに来日コンサートのプログラムの意図や作曲家への想いを饒舌に語ってくれた。ネルソンスもスクリデもラトヴィアのリガ出身だが「私たちが育つときはポップ・ミュージックを聴くことを禁じられていた。心が爆発しそうなときはショスタコーヴィチを聴いていた」というスクリデの発言が心に残った。そういうふうにショスタコーヴィチを聴いていた人がいたというのが衝撃的だったし、ロックとクラシックのボーダーを外してとらえていたクルレンツィスの記者会見のことも思い出された。
ゲヴァントハウス管弦楽団のショスタコーヴィチは内省的で、数年前にシャイーと五嶋みどりさんで聴いたメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲第1番』を思い出しながら、覆いかぶさるような激しい風を感じたシャイーの指揮とは正反対のネルソンスの静謐な音作りにしみじみ聴き入った。厳かな金色のドレスを着たスクリデは、一楽章のノクターンから暗鬱で秘められた音色を聴かせ、神妙なオケと呼吸を合わせていく。ハープのぽたぽたという音が何かの暗号にも聴こえ、強烈な抑圧の下で書かれた秘密文書のような旋律…という印象を持つ。偶然だが、この曲は女性ソリストで聴く機会が多く、2楽章のスケルツォを弾き終わった後に勝ち誇った表情になる人も多い中、スクリデはこの爆発的な楽章をもっと突き刺さるように深く感じているように見えた。この4つの孤児が顔を突き合わせたような曲を「ポップ・ミュージックのように聴いていた」というヴァイオリニストの青春時代は果たしてどのようなものだったのだろう。
オケの伴奏は重々しく繊細で、ネルソンスはまだ40歳(!)なのに時折左腕で指揮台を握って身体を支え、世界苦を背負い込んでいるかのような表情で指揮をしていた(同世代でも若者気分が抜けない大袈裟な指揮をする人もいるが、最近はそういう人はあまり信頼できない)。フィナーレ楽章は熱狂的で、爆発的な喝采が巻き起こった。全員が凄い集中力で、聴いている方も体力を奪われる心地がした。
後半のチャイコフスキーでは、さまざまなことを考えさせられた。「ベートーヴェン以降の作曲家は、自分の5番目の交響曲を書くとき『運命』を意識しないわけにはいきませんでした」とネルソンスは会見で語っていたが、チャイコフスキーもベートーヴェンの5番の断片のさまざまな転回形を曲にちりばめ、万華鏡のごとき自分の「運命」を作曲した。そのことを、有り余る才能が生み出したキッチュな創造物としてとらえた演奏も少なからず聴いてきた。
ネルソンスがゲヴァントハウス管から引き出したチャイコフスキーの5番も、紛うかたなき『運命』で、すぐさまその単語が脳裏に浮かんだ。しかしそこにはキッチュなものもアイロニーも全くない。ただ恐ろしい、従うしかない神の手による宿命があり、孤立した絶体絶命の小さな人間の心があった。こういう瞬間に、CDやDVDをいかに最新のシステムで再生しても再現できない空間の力を感じる。オーケストラの言語が、すり鉢状の谷底から這い上がろうと必死になっている。ヴィンヤード~ぶどう畑という形のサントリーホールが、凍える孤高の心の入れ物になっていた。チャイコフスキーの心痛が肌に突き刺さるようだった。
この曲でのオケの表情を正確に描写するのは難しい。テンポはかなり揺れ、わざと指揮者が動きを止めて、無音に限りなく近いppppを表現していた箇所もあった。ネルソンスが語る「ゲヴァントハウス管ならではの大きな船に乗っている感じ」は、低弦のこの上ない温かみからくるものだが、弦の音をパートに分断して認識することはほぼ不可能だった。弦は一体化した色であり影であり、いくつもの時間の中でうつろう記憶でありノスタルジーに感じられた。
チャイコフスキーの『白鳥の湖』や『エフゲニー・オネーギン』が思い出された。シンフォニーとバレエ、オペラを切り離して考えるのはナンセンスだ。同じ苦痛とメランコリーが含まれていて、オーボエの響きからは瀕死の白鳥の苦吟が聴こえた。オケの音の塊が大きな雨雲のように移動し、混沌とした景色を作り出していく。一楽章からひどく不安な感情に襲われてしまった。マーラーでも時々こういう気分になる。「生きている」という状態が、とても心もとない不安定なものに思えてしまうのだ…我々はどこから来て、どこへ行くのかという哲学的な問いが頭をもたげる。こういうことを音楽で延々と語るのは危険だ。区別すること、分割することが理性的な社会には必要で、混沌とともに音楽を語ることは退廃的になりかねない。
それでも、ネルソンスは分割できない大きな世界苦、チャイコフスキーが抱えていた深刻な厭世観を勇敢に、純粋に表していたと思う。はたと「自分が名前のない世界にいたらどうなるだろう」と考えた。二楽章のホルンは母胎の中にいるような響きで、同時に死後の安らぎも思わせた。明るい木管が加わり、名付け難い癒しの感覚が広がる。スコアの明晰な分析の先にある、巨大な統一体を見たような気持ちになった。名前のない世界とはどういう世界か。生きている限りそれは忌まわしいものにも感じられる。人はアイデンティティ・クライシスを恐れる。自己の輪郭を脅かすものを攻撃し、口汚くののしるのは、危機を感じているからだ。数日前に取材したイタリアオペラの巨匠レンツェッティが「プッチーニが嫉妬されたのは心を揺さぶる音楽を書いたから」と語っていたことも思い出した。
ネルソンスの指揮姿が、なぜか一度も生で聴いたことのなかったシノーポリを思い出させた。そのうち作曲を始めるのかも知れない。聴衆に音楽による一体化を求める。精神的な独占というか、拘束感みたいなものがある。そのせいで、オケからとても明瞭な言葉が届く。音楽がこちらに「届こう」と熱烈に志向してくるので、脳内が言葉だらけになった。音楽と同時に、浮かぶ言葉にも打ちのめされる。チャイコフスキーは、決してキッチュな交響曲を書いたのではなかった。創作の先にある53歳の死と、この曲に渦巻くアンデンティティ・クライシスの苦痛に全身がひび割れそうになった。オーケストラの真剣さはフィナーレまで一秒も弛緩することなく、そこで再びこの楽団の信条である「真摯たれ」という言葉を思い出した。4楽章では傷ついた鳥たちが「それでも生きるしかない」と果敢に飛び立つさまが目に浮かび、これは本当になんという曲なのかと驚かされた。
オケの伝統の延長線上にある二曲だったが、ネルソンスはゲヴァントハウスの歴史に敬意を表し、アンコールにメンデルスゾーンの序曲『ルイ・ブラス』を演奏した。編み込みのツイードから何色か色が抜かれた、過剰なタナトス感のない端正な演奏を楽しんだ。このアンコールの前にも、ネルソンスは長いスピーチをしたのだ…。聴衆とつながりたいという強い気持ちを少しも隠さない。この人がブルックナーと一体化したらどうなるのだろう…録音はこのオケの美点の半分も伝えていないのだから、実際に聴くしかないだろう。チャイコフスキーのドラマティックな終盤で、ますますジェスチャーを小さくしていたネルソンスには、早くも巨匠の風格が漂っている。
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