いつも通っている長倉と小舟を結ぶ県道164号線。
峠の大きな切り通しの両側に同じような石碑があることに気が付きました。
これは、南の入本郷(いりほんごう)側。
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反対側の油河内(ゆごうど)側にも同じ石碑があります。
碑文は「八里燧道 昭和三年十二月竣工」
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県道が拡張整備される前は、この峠はトンネルで通過していた。
重機もない時代、ほとんど人力で掘られたトンネルだったそうです。
そうまでして、この峠にトンネルを作る必要があった。
当時の人や物の往来は今と違ったものだったのかもしれません。
峠の大きな切り通しの両側に同じような石碑があることに気が付きました。
これは、南の入本郷(いりほんごう)側。
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反対側の油河内(ゆごうど)側にも同じ石碑があります。
碑文は「八里燧道 昭和三年十二月竣工」
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県道が拡張整備される前は、この峠はトンネルで通過していた。
重機もない時代、ほとんど人力で掘られたトンネルだったそうです。
そうまでして、この峠にトンネルを作る必要があった。
当時の人や物の往来は今と違ったものだったのかもしれません。