雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

真っ暗闇を知っていますか?

2012年05月22日 | ポエム


 真っ暗闇を知っていますか?

 5月21日は、私の住んでいる熊本市は厚い雲がたれこめ、日食どころか太陽の位置さえ分からなかった。でも日本の多くの場所で太陽と地球の間に月が入り込む日食や金環食が観測されたようで、テレビを中心に大騒ぎだった。今は誰がどのように計算するのか、日食が起きるほとんど正確な日時が分かっているからいいが、太古の人間や動物は訳が分からず畏れおののいたことだろう。現代の子ども達は、日食を見ても畏れの念をいだくことはまず無いだろう。
 例えば、読書の皆さんは、目を開けていても一切何も見えない真っ暗闇を経験したことがあるだろうか。
 夜中にふと目を覚まし、暗闇に目を開くことがある。部屋の照明を点けないでいても、しばらくすると部屋の中の様々な電化製品が通電待機中であることを示す小さな赤や緑のパイロットランプの、日頃は感じることの無い明るさで、部屋の様子がぼんやりと見えてくる。テレビ、レコーダー、携帯電話、冷蔵庫、電気蚊とリ。
 真っ暗闇を経験することは難しい。
 私の実家のある町では、夜中に真に真っ暗闇を経験することができる場所がある。もちろん、見渡す限り家は一軒も無く、遠くにも近くにも家の明かりは一切見えない場所だ。当然、街灯なども無い。畑の中の道路際の一体誰が買うのだと疑問に思う様な自動販売機も無い。車で走って来て、ランプを消し、エンジンを切ると、突然真っ暗闇が押し寄せて来る。ただし、夜でも月が出ていたら明るいし、天気が良いと満天の星で真っ暗闇とはならない。
 真っ暗闇を経験することは難しい。
 だからと言って、人工的に光が漏れない真っ暗な場所を作っても、暗闇の質が違うように思う。
 昼間同じ場所を車で通る時は、木々の緑がきれいだと感じ、田や畑を吹き来る爽やかな風を感じるが、真っ暗闇の中で同じ場所にたたずむと、突然、周りからの敵意のようなものを感じる。目の前に自らの手をかざしても見えない暗闇。無防備な小さな自分と、何かそこにある畏れの念を抱かせるものを意識する。
 時々人はそんな風に真っ暗闇を経験した方がいいと私は思う。
(2012.5.22)

▲見出し画像。山小屋の、かってドラム缶風呂を楽しんだ錆びた缶の渕に雨蛙が180度離れて向きを逆に2匹いた。面白いとシャッターを切ったが、写真の技術が無く、2匹を同じ画面にうまく捉えることが出来なかった。
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