雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

カモノハシ

2013年04月02日 | ポエム


▲JRあまくさみすみ線の網田駅。春は菜の花や桜を始め、花でいっぱいになる。

 カモノハシ

 幼い頃、我が家で兄弟とトランプカードのゲームをするときに、何と言うゲームか名前も内容も忘れてしまったが、プレーヤーがそれぞれ自分のコードネームを決め、何かのきっかけで相手のコードネームを告げないとペナルティーを受けるというゲームがあった。
 カードゲームに「ダウト」というゲームがある。手持ちのカードの中から、1から順番に手持ちのカードの中から1、2、3と声を出しながら中央に伏せた1と2と3の数字のカードを出していくが、相手のカードが嘘を出したと思ったときに「ダウト」と声をあげ、もし嘘だったらカードを出した人が、本当だったらダウトを宣告した人が、中央にたまったカードを全部もらい、手持ちのカードが早く無くなった人が勝ちという単純なゲームだったと思う。その「ダウト」と言う代わりに相手のコードネームを告げなければならないようなゲームだ(と、記憶しているんだが‥‥)。そしてコードネームはプレイが始まる最初に動物の名前から選ぶことになっていた(と、記憶しているんだが‥‥)。
 子どもだから大抵はありきたりのキリンだとかゾウだとかライオンだとかシマウマだとかの名前を自分のコードネームに宣言するのだが、私はカモノハシをコードネームにしていた。最近、突然そのことを思い出し、小さい頃からちょっと変わったものが好きだったのだなあと苦笑した。
 カモノハシは、オーストラリアの水辺に住んでいるほ乳類で、身体はビーバーに似ているが、手足には水鳥のような水かきがあり、最大の特徴は口が鴨のクチバシのような形状をしていることで名前の由来にもなっている。姿だけでなく、ほ乳類でありながら卵を産む、なんとも不思議な動物。持っていた図鑑でこの奇天烈な動物の存在を知り、自分のコードネームにする程お気に入りの動物となった。今振り返ると、ゲーム中にすぐに思い出せるキリンやゾウやライオンよりもカモノハシは有名でなかったからゲーム上、特に幼い子ども相手には、有利だという計算もあったに違いない。
 この小さい頃からちょっと変わったものが好きだという性格は未だに変わっておらず、最近趣味としている園芸で育てる花の種類や自分の服や腕時計、自転車、自動車から家の作りまで、「派手さも無く、一見何処にでもありそうだけど、よく見ると変わっているね」といったものを選んでしまうのだ。
 私が世話をしている花壇やプランターの草花は、冬の間、あまり変化が無く静かに少しずつ、その内面で春の訪れを準備している。
 そして、「あれっ、今日は外で作業をしていてもちょっと風が違うな」と感じた数日後には、草花も敏感に変化を始める。それから今や春花壇のピーク。急に咲き誇ったパンジーやビオラの間から、チューリップが顔を出して花を咲かせている。この爛漫の季節を出来ればもう少しゆっくりと味わいたいのだが、躍動という言葉がぴったりする位、毎日毎日変化していく。桜の花に象徴されるように、一番美しい時期はあっという間で儚い。
 仕事先の花壇やプランターは、私の母が少し前まで丹誠をこめて作り世話をしていた。私も実家の仕事を手伝うようになってからは、水やりや植え替えなどの作業を手伝いながら、園芸作業を母に1から教えてもらった。だから私の花づくりの師匠は母である。認知症になってしまった私の師匠は、今でも花を愛でることは好きだと思うが、咲いている花を摘んで、プランターや鉢や花壇の隙間に挿すという子どもみたいな幼稚な作業を毎日くり返していた。
 母は、数年前から施設に入所して今は家族もはっきり認識できない。その母が作った鉢やプランターもあまりに数が多く手が回らないので、ずいぶんと処分した。母が元気な頃に集めた花を今思えば、例えばまだ寒い年末から1番に咲き出す水仙だけでも、八重咲きや房咲き、スズラン水仙など、ちょっとめずらしい色や形のものが次々に咲く。
 他の花も、やはり「一見何処にでもありそうだけど、よく見ると変わっている」ものが多く、自分のその性格は母ゆずりだったのかとふと思う。
  (2013.4.1)
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