雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

粗相をする

2013年04月16日 | ポエム

▲春の空はすかっと晴れることが少ない。


 粗相をする

 先日勤務先でもある実家で、一人で夕食を作って食べ(半分単身赴任状態)、片付けを終えた後で、食後の紅茶をいれた。コタツに入りテレビを見ながら、紅茶を一口飲んでテーブルに戻したマグカップが倒れ、私の身体に向かってたっぷりの紅茶がこぼれてきた。
 いれたての熱々の紅茶だ。
 一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐに危険を察してコタツにすっぽりと入れていた身体を起こしコタツから抜け出した。その時はすでに熱い紅茶がコタツカバーとコタツ布団を通して、さらに私のズボンと下着まで濡らし始めていた。大事なところをヤケドしたら一大事と素早くその場でズボンとパンツを脱いだので、幸いヤケドとかの大事には至らず、恥ずかしい思いをすることもなかった。
 「はあー、良かった」と、一人心から安堵した。
 3年前に他界した父は、私と歳が33年離れていた。父が現在の私の歳のときに、私は24歳だったことになる。
 父は家での食事中やレストランなどで、水やビールの入ったグラスなどを倒すことがよくあった。口に出して非難することは無かったが、内心「がさつだなあ」「どじだなあ」と当時の私が冷ややかな目で見ていたことは確かだ。
 亡くなる前は、同様の粗相がますます増えた。
 父が80歳を過ぎてからは、粗相も「歳を考えたら当然で仕方の無いものだ」と思えるようになった。私の頭の中で、父の粗相の原因は、性格によるものから高齢による機能の低下に変わったのである。
 実は何を隠そう、私自身ここ数年前から粗相の数が増えてきたような気がする。父と同じように、食事の際にグラスを倒してしまうことも多い。
 私は若干の視野狭窄がある。それは2年前の健診の中にセットされていた眼圧検査で指摘されたもので、実際の生活に支障が生じることはない。初期の緑内障という診断で念のために目薬を1日1回点眼し、定期的に検査と診察を受けている。幸い発見が早かったので、今のところ進行の兆しも無いようだ。しかし、今回のように、何かと何かの間の目測を誤る。グラスに手が当たって倒す。箸で摘んだ食べ物をこぼす。後片付けの途中で皿を割ってしまう。これらの粗相の回数はあきらかに増えているし、以前なら考えられない失敗であることが多い。
 思いたくはないが、これは視野狭窄を含めた身体的な機能低下が原因で、つまりは老化現象の現れなのだ。だから性格が原因だと思っていた今の私と同じ歳の頃の父の粗相も、もしかしたら老化現象の始まりだったのかもしれない。直接非難していた訳ではないが、父に対し「悪かったな」と思うこの頃である。
(2013.4.12)
コメント
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