雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

ピンクのクラウン、白いクラウン

2014年10月14日 | エッセイ

 ピンクのクラウンと白いクラウン


 通勤途中の国道57号線で、あの車を4回目撃した。
 私は自宅のある熊本市内から車で1時間20分ほどかかる上天草にある実家の事業所まで国道57号線を通勤している。と言っても毎日往復する通勤ではなく、週末と週の半ばに自宅に帰る半分単身赴任生活を続けている。家人は私と別の車を持っていて、熊本市内を毎日走っているが、まだ一度も出会ったことが無いというあの車。2年程前にテレビコマーシャルに登場し話題となって、要望に応えてとうとう限定発売されたピンクのトヨタ・クラウンだ。
 おそらくは、県内に数台いるという内の1台を天草諸島のいずれかに住むオーナーが所有しているのだろう。
 あきらかに目立つ。我が家では絶対にあり得ない選択だが、世の中の一人ひとりの趣味趣向は理解できない。もしかしたら黒や紺のスーツをたくさん持っている人が遊びでピンクの高級スーツを誂えるように、自家用車を数台所有していて黒塗りのセダンもあった上で、「ちょっと面白いから乗ってみようかな」とウン百万円の車を購入されたのかもしれない。
 昭和30年生まれの私が10歳の前後から日本は高度成長期を迎え世の中のことが大きく変わり出したとは言え、自動車と言えばトラックかバスかオート三輪車(わかりますか?)が多く、乗用車の多くは社用車か公用車そしてタクシーであって、自家用車はまだまだ手の届かない存在だった。また乗用車の多くが社用車や公用車として使われる黒塗りの車だった。
 やがてスバルやキャロルという軽自動車が発売されて、マイカーという言葉が生まれようとしていた。さらに景気が良くなり、ブルーバードとコロナ、サニーとカローラという日産とトヨタの熱いシェア争いが始まると、黒一色だった乗用車は様々な色のバリエーションを持ち始める
 乗り物全般が好きだった幼い日の私は、中でも鉄道と乗用車に強く興味を持っていた。日本車の車種も少なく、幼い私でも走っている車の車種と年式を言い当てることができた。一つのメーカーが発売する車の種類も少なかったし、一つの車種もスタンダーとデラックスか、せいぜいカスタムとつけられた最上級車ぐらいしかランクが無かったからだ。
 私の車への興味は、小型車に特化していた。なぜなら大型のクラウンやセドリック、グロリアなどは依然として社用車や公用車やタクシーが中心で、私にとってはトラックなどと同じように興味の対象外だった。
 ところが私の高校時代の1972年(昭和47年だとネットで調べた)に真っ白のクラウンが登場した。緑の草原を駆け抜ける「白いクラウン」。そんなテレビコマーシャルだったような記憶があるが確かではない。しかもツードアのハードトップだった。私のクラウン=黒塗り=社用車・公用車・タクシーのイメージは、みごとに吹き飛び、クラウンは私の乗用車の興味の対象に加わり、一躍あこがれの車の一つになった。
 この「白いクラウン」の衝撃は、ピンクのクラウン以上で、当時の車好きの多くの日本人が体感したのではないだろうか。白いクラウンの販売計略と広報は、単に日本車の歴史だけではなく、日本のあらゆる販売計略と広報の上でも有名な出来事らしい。私もまんまとトヨタの計略に乗せられた一人だったのだ。最近みずいろのクラウンを宣伝してますが、あれもなかなか素敵ですね。
 私の家の自家用車の色の遍歴は、薄いグレーのマツダ・クーペに始まり、クリームと薄い黄緑のツートーンカラー(今また流行っている)、ブルーグレーのメタル、臙脂色のメタル、アースカラーのメタルなど、淡いモノトーンの車が多く、白は一度も買ったことがなかった。私自身が買った車も、ダークグレーやシルバーグレー。服の色と同様、グレー系やアースカラーが好きだ。ところが一昨年に買い替えた車は真っ赤。来年にひかえた自身の還暦も意識したが、若い頃に「歳取ったら真っ赤な外国車に乗ったりしたらカッコいいなあ」と私がつぶやいたのを家人が覚えていて、それがひょんなことから実現してしまった。
 ピンクのクラウンには負けますが、やはり派手です。
(2014.10.14)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする