暖房と室温
小さい頃の真冬の家の中は寒かった。
ちゃんとした暖房の設備は無く、炬燵と火鉢の炭以外に熱源が無かった。狭い茶の間に祖母と両親と兄弟5人が寄り添い、子どもだった私も炬燵布団に首までくるまってテレビを見ていた。尿意をもよおしても炬燵から出る勇気が無く限界まで我慢した。2卓の炬燵が並んでいたように思うが、今考えると祖母や母は炬燵の輪からはみ出していて、寒い思いをしていたのかもしれない。寝る時には布団に湯たんぽを使用したが、暖かいのは湯たんぽの周囲だけで、全体が温もるまでは敷布団も掛け布団も氷のように冷たかった。小さい頃は祖母と同じ布団に寝ていたが、祖母が後から布団に入った際に「人間アンカは良いアンカ~」と歌うように節をつけて言っていたのを思い出す。
さすがにしばらくすると、我が家でも電気ストーブや石油ストーブ、ガスストーブなどを使うようになった。それでも家中の部屋を暖房するわけではないので自分の部屋で勉強するときは「丹前」と言って分厚く重たい袖のついた布団のようなものを着て、腰から下には毛布を巻いて寒さを防いだ。
高校を卒業して6畳ひと間のアパートに住んでいた時は、石油ストーブが使用禁止で小さな電気ストーブと炬燵で寒さを凌いだ。
木造のすきまだらけの古いアパートで、ある朝起きてみたら小さなキッチンの床にあったキャベツが凍っていたので凍らないように冷蔵庫に入れたことがあったのを思い出す。
父の代で建てた自宅を私が立て替えてやがて20年近く経つ。
木造の在来工法で建てたローコストの小さな2階建てだが、断熱材だけは地域の規定料の2倍使用してもらったことと、1階の床がコンクリート仕上げで地面と直結していること、家の中央に螺旋階段がありその階段の周りに珪藻土という土壁を使用していることで、家全体が夏は涼しく、冬も暖かい。
しかし20年近く経つと当然、あちらこちらに不都合が出てきて修理をしたり、取り替えたりしなくてはならない。
夏前位からお風呂や洗面所、台所で使うガスの給湯器がおかしくなった。お風呂の温度設定が不安定で、入浴可能な温度で湯はりや温めなおしができなくなった。
熱い湯を足せば良いのだが、3人の家族で入浴時間が違うので、お湯の量ばかり増えてしまう。
本格的に寒くなる前に修理しようという話になったが、数万円で済む話でないことはわかっていたので二の足を踏んでいた。
そんな時、ちょうど出入りのガス業者からガス関連企業が合同で開催する展示会の案内があったので、家人と二人出かけた。
会場に着くと我が家の出入り業者のブースがあり担当者も会場にいて、事情を話すとやはり給湯器を新品に取り替えることとなった。
自宅の建築とともに設置した給湯器はすでに20年近く経っているわけで、故障した部品の生産がすでに中止されているし、もし運良く部品が見つかったとしてもすぐに他の部分の故障が発生しない保証はないからという話だった。それから最新の給湯器は省エネの技術が進んでいてガス代が随分安くなるということだった。さらに業者のオススメに従い、給湯器とセットになっている浴室暖房機まで買うこととなった。当日の特別値引きも大きかったが、これから高齢に差し掛かる私と家人のためにも、浴室や脱衣場を温める機能は必要かもしれないと思ったからだ。
買う決断をするときは贅沢だなあと思わぬでもなかったが、今まで寒い思いをした脱衣場や浴室のあまりの快適さに、もう2日目にはなくてはならぬように感じてしまった。
人間、快適さや贅沢にはすぐに慣れてしまうものだなあ。
(2015.1.3)
小さい頃の真冬の家の中は寒かった。
ちゃんとした暖房の設備は無く、炬燵と火鉢の炭以外に熱源が無かった。狭い茶の間に祖母と両親と兄弟5人が寄り添い、子どもだった私も炬燵布団に首までくるまってテレビを見ていた。尿意をもよおしても炬燵から出る勇気が無く限界まで我慢した。2卓の炬燵が並んでいたように思うが、今考えると祖母や母は炬燵の輪からはみ出していて、寒い思いをしていたのかもしれない。寝る時には布団に湯たんぽを使用したが、暖かいのは湯たんぽの周囲だけで、全体が温もるまでは敷布団も掛け布団も氷のように冷たかった。小さい頃は祖母と同じ布団に寝ていたが、祖母が後から布団に入った際に「人間アンカは良いアンカ~」と歌うように節をつけて言っていたのを思い出す。
さすがにしばらくすると、我が家でも電気ストーブや石油ストーブ、ガスストーブなどを使うようになった。それでも家中の部屋を暖房するわけではないので自分の部屋で勉強するときは「丹前」と言って分厚く重たい袖のついた布団のようなものを着て、腰から下には毛布を巻いて寒さを防いだ。
高校を卒業して6畳ひと間のアパートに住んでいた時は、石油ストーブが使用禁止で小さな電気ストーブと炬燵で寒さを凌いだ。
木造のすきまだらけの古いアパートで、ある朝起きてみたら小さなキッチンの床にあったキャベツが凍っていたので凍らないように冷蔵庫に入れたことがあったのを思い出す。
父の代で建てた自宅を私が立て替えてやがて20年近く経つ。
木造の在来工法で建てたローコストの小さな2階建てだが、断熱材だけは地域の規定料の2倍使用してもらったことと、1階の床がコンクリート仕上げで地面と直結していること、家の中央に螺旋階段がありその階段の周りに珪藻土という土壁を使用していることで、家全体が夏は涼しく、冬も暖かい。
しかし20年近く経つと当然、あちらこちらに不都合が出てきて修理をしたり、取り替えたりしなくてはならない。
夏前位からお風呂や洗面所、台所で使うガスの給湯器がおかしくなった。お風呂の温度設定が不安定で、入浴可能な温度で湯はりや温めなおしができなくなった。
熱い湯を足せば良いのだが、3人の家族で入浴時間が違うので、お湯の量ばかり増えてしまう。
本格的に寒くなる前に修理しようという話になったが、数万円で済む話でないことはわかっていたので二の足を踏んでいた。
そんな時、ちょうど出入りのガス業者からガス関連企業が合同で開催する展示会の案内があったので、家人と二人出かけた。
会場に着くと我が家の出入り業者のブースがあり担当者も会場にいて、事情を話すとやはり給湯器を新品に取り替えることとなった。
自宅の建築とともに設置した給湯器はすでに20年近く経っているわけで、故障した部品の生産がすでに中止されているし、もし運良く部品が見つかったとしてもすぐに他の部分の故障が発生しない保証はないからという話だった。それから最新の給湯器は省エネの技術が進んでいてガス代が随分安くなるということだった。さらに業者のオススメに従い、給湯器とセットになっている浴室暖房機まで買うこととなった。当日の特別値引きも大きかったが、これから高齢に差し掛かる私と家人のためにも、浴室や脱衣場を温める機能は必要かもしれないと思ったからだ。
買う決断をするときは贅沢だなあと思わぬでもなかったが、今まで寒い思いをした脱衣場や浴室のあまりの快適さに、もう2日目にはなくてはならぬように感じてしまった。
人間、快適さや贅沢にはすぐに慣れてしまうものだなあ。
(2015.1.3)