雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

弁当

2015年04月15日 | エッセイ
 弁当


 私が弁当を日常的に使ったのは中学・高校時代の6年間だ。
 その頃に同居していた料理上手の祖母が主に作ってくれた。
 当時の私の弁当は、ご飯と梅干しのみの日の丸弁当まではなくとも、おかずよりも三対一から四対一位で圧倒的にごはんの割合が多かった。
 弁当箱は、かさ張らぬような薄めの、しかし大きなアルミ製のもので、中にパッキンの付いたアルミ製のおかず入れの容器がセットになっていた。
 私の弁当箱の内容つまり祖母が作ってくれた弁当というと、一番に炒り卵のり弁が思い浮かぶ。
 ご飯の上に、隙間無く海苔を並べる。海苔には並べる前に片面に醤油をつけてある。その海苔の上に炒り卵がこれまたびっしりと敷き詰められている。
 祖母が土鍋を使い4、5本の箸を使って作る炒り卵は、スクランブルエッグとは違いポロポロの米粒程の小さな固まりになるまでしっかりと炒ってあった。
 その炒り卵を乗せる前に、すでに私用の弁当箱の縁までご飯が詰まっていて、さらに炒り卵を乗せて蓋をすると、押し寿司状態になる。
 そうやって早朝に作られた弁当はお昼休み(告白すると高校時代はほぼ2限目の休み時間には我慢できずに早弁で3分の1程食べていた)には冷えていい具合に固まり、海苔の効果もあって箸でつまむと一口大の大きな固まりとなって食べやすい。炒った卵と海苔の香り、醤油の味がご飯に程よく染み込んでいる。これが私の定番弁当の炒り卵のり弁で、それだけでおかずは不要だ。
 もちろん、実際にはおかず入れに必ずおかずが入っていた。ただ何が入っていたかあまり思い出せない。若い頃は魚介類が苦手だったし、野菜も漬け物のダイコン位で、肉がおかずの中心だったと思う。食のバランスや彩りは考慮されておらず、今時の弁当の定番のようなミニトマトやブロッコリーなどが入っていることはまずありえない。
 弁当のおかずを思い起こすと、まず鶏の胸肉の立田揚げを一番に思い出す。シンプルな薄味の唐揚げだった。それからキンピラゴボウ。ささがきに切った甘めの味付けのゴボウに卵が溶いて炒ってあった。赤いウインナーも登場したが後期には太めのフランクフルトソーセージを一口大に切って炒めケチャップを絡めたものもよく食べた。季節ものだが、春先にはツワブキの新芽を甘く煮たものや、わかめの茎を煮たものもよく登場した。
 それから定番のおかずとして入っていたのが、ご飯と同じタンパク質だがゆで麺と粉末のソースを使ったインスタントのスパゲティー。「タカモリのナポリタン」という製品は粉末ソースが独特の味付けで、私のソールフードの一つとなって今でも時々買い求めて食べている。熊本県荒尾市にある高森興産が作っていて、本場イタリアのナポリでも売り出したそうだ。
 亡くなった父の話によく登場した弁当は松茸弁当。
 今では超贅沢な弁当となるところだが、当時は山に行けば松茸はいくらでも採れて子どもの弁当に入れるようなありふれた食材だったらしい。
 「また松茸かア」と蓋を開けてがっかりしたそうだ。
 もう一つはスキヤキ弁当。「翌日にスキヤキの残りを入れてもらい、汁がしみたご飯が美味しかった。小さな肉の固まりを見つけるとバンザイしたよ」スキヤキを食べながら何度も聞いた弁当の話だ。
 海外でも日本の「弁当」が注目されているようだ。確かに限られた時間に弁当があれば便利である。欧米ではレストランに入ると時間がかかり、うどんや蕎麦、ラーメンや丼ものがあればと思うことがある。早さだけでなく栄養のバランスも良い弁当にアメリカ人やフランス人が注目することは大いに頷ける。
 弁当と言えば「駅弁」も楽しいがそれはまたいつかの機会に書きたいと思う。
 高校を卒業してからは弁当を食べる機会がほとんどない。
祖母も母も弁当を作ることは出来なくなった今、作るとしたら家人に頼むか自作するしかない。やはり定番の炒り卵海苔弁がいい。
(2015.4.15)
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