雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

煙草とライター

2011年12月15日 | ポエム



 煙草とライター

 詩にも登場するように僕はかって煙草を吸っていた。しかも1日30本を越すヘビースモーカーだった。
 50歳の誕生日を機会に、断煙した。喫煙習慣のある方に禁煙を勧めることは、今や僕の義務のひとつだと思っている。僕の断煙(禁煙)については、今日は「禁煙したらいいことばかりだった」という感想のみを述べておき、またあらためて書きたい。。
 しかしそんな僕も若い頃は、煙草を吸わない自分の将来は想像出来なかったし、紙巻き煙草以外にパイプ煙草も時々楽しんでいた。いつもパイプをくわえているムーミンパパの姿にも憧れた。
 好きな音楽を聴き乍ら、本を読み、コーヒーかブランデーを飲み乍ら煙草を燻らすことは、長い間、間違いなく僕の至福の時間だった。
 その中でも僕が好きだったのは、箱から出した煙草を口に加え、火をつける瞬間だった。だから女性が同席してくれる飲み屋さんで、煙草の箱をとった途端マッチやライターで火をつけられるのは、僕にとってまったくのありがた迷惑だった。
 当然、火をつける道具にもこだわった。
 マッチで火をつけることも好きだったが、僕が一番好きだったのは、オイルライター。火をつける度にプンと香るオイルの匂いも好きだった。僕が愛用していたオイルライターは、携帯懐炉みたいなシンプルな形の薄い小さな真鍮製のライターだった。確かブラスNo.5という銘が入っていた。池袋の西武デパートで買った。
 パカっとフタがとれて、ギザギザのヤスリ状の回転ドラムを親指で回すと、火打石から火花が散って、灯心に火が付く。
 オイルが切れたら、本体部分をスポっと開けて、中の綿に適量のオイルをそそぐ。本体が小さいために、オイルタンクも小さくて、たびたび補充する必要があった。ライターの石と言われる火打石も時々消耗してなくなるので、タンクの綿の中に予備の石を入れておいた。
 後年に持っていたオイルライターの定番、ジッポーに較べると、小さくて軽い。シンプルな小判型の形も真鍮の質感も大好きだった。
 そんな分身のようなライターと共に、年末年始に帰省した際に、バスに乗って熊本の街中に出かけた。そのバスの一番後ろの席で、シートの上に黒い高級そうなガスライターを見つけた。どうしたものかと拾って手に取った。ガスライターは嫌いだし、いかにも高級そうな形も好きではなかった。最初は運転手さんに降りる時に届けようと思い、ポケットに入れた。ところが、何気なくポケットの中を探ると、いつもズボンのポケットに入っているはずの愛用のオイルライターが無い。上着やコートのたくさんのポケット、そしてショルダーバッグの中にもオイルライターは無かった。家に忘れてきたのだろうかと、思った。結局、運転手にそのガスライターを渡すことなく、バスを降りた。ヘビースモーカーは火が無いと早速困る。替わりに拾ったガスライターで火をつけた。カチっと火をつけるときに出る音が好きにはなれそうにないが、機能的にはすばらしく使い勝手もよかった。そうして拾ったガスライターを持ったまま、その日、家に帰って愛用のオイルライターを探したが、とうとう二度と見つからなかった。
 話はまだ続く。2月だったか、郷里の女子高校に通う下の妹が修学旅行で上京し、自由時間の際に面会した。その時の事件は前々回の「女性の買い物につきあうということ」と題して書いた。同じ日の話。
 待ち合わせの皇居前広場に向かう僕は、成り行きで使い始めて1ヶ月以上が経つ、あの黒いガスライターが無いことに気がついた。アパートに忘れたか。
 そして妹に会ってすぐ、郷里の家族からの「プレゼントだよ」ってもらったのが箱に入ったブラスNO.5の新品だった。僕がお気に入りのライターを無くして、ひどく落胆していたのを家族は知っていたのだ。
 アパートに帰って探してみたが、不思議なことに今度は、黒いガスライターが二度と見つかることはなかった。
(2011.12.15)
 

 
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紅葉と水仙

2011年12月09日 | ポエム

紅葉と水仙

 水仙は僕が大好きな花の一つだ。いろんな種類の水仙があり、求めて庭にも植えているが、一番好きなのは白い花びらに中心部が黄色い日本水仙だ。細長く、すっと伸びる葉の様子も好きである。庭の水仙は、咲き出すと花生けにする。姿もいいが、また香りが何とも言えず、部屋の中がなつかしい香りでいっぱいになる。
 トイレにも一輪挿しを飾り、「これがホントの水仙トイレ」と言って毎年家族中から冷笑を浴びている。
 その水仙が今年は、2週間ほど早く咲き出した。周りの木々の紅葉はモミジもイチョウも遅れて葉が散り出したばかりだというのに。秋は足取りは遅く、春は早い。と、言うことは冬が短くなるのだろうか?
 気候変動に植物も戸惑っているのか、昨年はソメイヨシノの狂い咲きや、紫陽花は冬に一度芽を開いて心配した。今年も先日の南阿蘇でプラムの木に花が咲いていた。秋に植える春花壇は冬の間はちぢこまった様子に見えるが、今年はビオラやパンジーがすでに大きく株を成長させている。花を早く楽しめることはうれしいけど。
 亡くなった父が「水仙が好きだ」と言っていた。そのためか父の姿と似ても似つかないのだが水仙を見ると父のことを感じる。
(2011.12.10)
 

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