煙草とライター
詩にも登場するように僕はかって煙草を吸っていた。しかも1日30本を越すヘビースモーカーだった。
50歳の誕生日を機会に、断煙した。喫煙習慣のある方に禁煙を勧めることは、今や僕の義務のひとつだと思っている。僕の断煙(禁煙)については、今日は「禁煙したらいいことばかりだった」という感想のみを述べておき、またあらためて書きたい。。
しかしそんな僕も若い頃は、煙草を吸わない自分の将来は想像出来なかったし、紙巻き煙草以外にパイプ煙草も時々楽しんでいた。いつもパイプをくわえているムーミンパパの姿にも憧れた。
好きな音楽を聴き乍ら、本を読み、コーヒーかブランデーを飲み乍ら煙草を燻らすことは、長い間、間違いなく僕の至福の時間だった。
その中でも僕が好きだったのは、箱から出した煙草を口に加え、火をつける瞬間だった。だから女性が同席してくれる飲み屋さんで、煙草の箱をとった途端マッチやライターで火をつけられるのは、僕にとってまったくのありがた迷惑だった。
当然、火をつける道具にもこだわった。
マッチで火をつけることも好きだったが、僕が一番好きだったのは、オイルライター。火をつける度にプンと香るオイルの匂いも好きだった。僕が愛用していたオイルライターは、携帯懐炉みたいなシンプルな形の薄い小さな真鍮製のライターだった。確かブラスNo.5という銘が入っていた。池袋の西武デパートで買った。
パカっとフタがとれて、ギザギザのヤスリ状の回転ドラムを親指で回すと、火打石から火花が散って、灯心に火が付く。
オイルが切れたら、本体部分をスポっと開けて、中の綿に適量のオイルをそそぐ。本体が小さいために、オイルタンクも小さくて、たびたび補充する必要があった。ライターの石と言われる火打石も時々消耗してなくなるので、タンクの綿の中に予備の石を入れておいた。
後年に持っていたオイルライターの定番、ジッポーに較べると、小さくて軽い。シンプルな小判型の形も真鍮の質感も大好きだった。
そんな分身のようなライターと共に、年末年始に帰省した際に、バスに乗って熊本の街中に出かけた。そのバスの一番後ろの席で、シートの上に黒い高級そうなガスライターを見つけた。どうしたものかと拾って手に取った。ガスライターは嫌いだし、いかにも高級そうな形も好きではなかった。最初は運転手さんに降りる時に届けようと思い、ポケットに入れた。ところが、何気なくポケットの中を探ると、いつもズボンのポケットに入っているはずの愛用のオイルライターが無い。上着やコートのたくさんのポケット、そしてショルダーバッグの中にもオイルライターは無かった。家に忘れてきたのだろうかと、思った。結局、運転手にそのガスライターを渡すことなく、バスを降りた。ヘビースモーカーは火が無いと早速困る。替わりに拾ったガスライターで火をつけた。カチっと火をつけるときに出る音が好きにはなれそうにないが、機能的にはすばらしく使い勝手もよかった。そうして拾ったガスライターを持ったまま、その日、家に帰って愛用のオイルライターを探したが、とうとう二度と見つからなかった。
話はまだ続く。2月だったか、郷里の女子高校に通う下の妹が修学旅行で上京し、自由時間の際に面会した。その時の事件は前々回の「女性の買い物につきあうということ」と題して書いた。同じ日の話。
待ち合わせの皇居前広場に向かう僕は、成り行きで使い始めて1ヶ月以上が経つ、あの黒いガスライターが無いことに気がついた。アパートに忘れたか。
そして妹に会ってすぐ、郷里の家族からの「プレゼントだよ」ってもらったのが箱に入ったブラスNO.5の新品だった。僕がお気に入りのライターを無くして、ひどく落胆していたのを家族は知っていたのだ。
アパートに帰って探してみたが、不思議なことに今度は、黒いガスライターが二度と見つかることはなかった。
(2011.12.15)