雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

りんどうの花

2012年08月13日 | ポエム
▲午後の空には、たくさんの雲が浮かんでいる。広い空の下にいると、ところどころに雨が降っているのが見えることがある。

 りんどうの花

ぼくは むらさきの花に
やさしいことばをかけたことがなかった
ぼくは この花に
あたたかい目をむけなかった
だけど りんどうは
こんなぼくを
しずかに なぐさめてくれた
美しいけど
哀しい花
(1973~2012.8.9)
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ロンドン五輪と昭和の東京オリンピック

2012年08月07日 | ポエム

ロンドンと昭和の東京オリンピック

 ロンドンオリンピックも半分の日程を終え、後半戦を迎えた。
 やはり面白い。やはり熱くなる。やはり寝不足の毎日である。
 開会式はニュースでちらっとしか見ていないが、参加した世界の国と地域の数のラッパ状のカラーの花のような形状の筒、1本1本に聖火が灯り、空に伸び上がり、集まり、一つの火となって燃え上がる演出には感激した。今までの聖火で一番良かった。
 競技では、日本時間で5日日曜日に行われた男子フェンシング・フレール団体の準決勝の対ドイツ戦。残り1秒で同点に追いつき、延長戦で3度相手のポイントが無効になった後のエース大田の逆転の勝利ポイント。その前に残り10秒あまりで2点差目のポイントを相手に取られたときは、「やっぱりドイツは強かったねえ」と一緒に応援していた長男と負けを認めたのだ。「スゴイ。ワールドカップのときのなでしこみたい」と思った。偶然みた試合だったが、生放送で応援出来て良かった。これだから寝不足になる。決勝は未明に。決勝の生応援は、さすがに月曜の仕事のために諦めた。
 熊本市の実業団チームからオリンピックに出場したバドミントン女子ダブルスの「フジカキ」ペアの応援もしましたよ。
 昭和39年10月10日。
 もうすぐ9歳になろうとしていた小学3年生の男子児童にとって、夢の超特急、東海道新幹線の開通と東京オリンピックの開幕は、忘れられない年の記念すべき1日の出来事として深く心に刻まれている。
 今でも東京オリンピンク開会式のファンファーレや入場行進の様子は目や耳に焼き付いている。東京の前のオリンピックの記憶は全く無い。オリンピックがどんなものか分からず、応援した。
 小学校では、毎日オリンピックの壁新聞を作った。マラソンのアベベが靴を履いて走ったこと。男子体操の遠藤幸夫、女子体操のチャフラフスカ、円谷と君原のマラソンの活躍。重量挙げの三宅義信(姪の宏美さんのロンドンオリンピクの銀メダルは感慨深い)。家族みんなで声を出し、手に汗にぎって応援した女子バレーボールの「東洋の魔女」達の回転レシーブと金メダル。
 以来、4年に一度オリンピックを見てきた。
 東京オリンピックの後に、テレビが盛んに「トーキョーオリンピック」がまた開催されるという話をするので、幼い僕は「???」と疑問に思っていたが、それは冬季オリンピックのことだった。冬季オリンプックといえば、長野より前に札幌で開催された。スキージャンプ「ヒノマル飛行隊」の金メダルの笠谷幸夫を先頭に日本の金銀銅独占や「リンクの妖精」フィギアスケートの米国ジャネット・リン選手には、しびれた。でも常にオリンピックを応援して来たが、僕にとって未だに東京オリンピックを越える大会はないなあ。その時、小学3年生という年頃のせいかもしれないけど。
(2012.8.7)

▲先週日曜日の南阿蘇村の空と雲。何か空ばかり見上げているなあ(2012.8.5)
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