かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (10)

2024年08月30日 | 脱原発

2014年11月14日

 元鍛治町公園でフリースピーチが始まった。川内原発に続く各地の原発再稼働への電力会社の動向や、その動きにたいする批判などのスピーチの後に、ある本の紹介を兼ねるスピーチがあった。
 矢部宏治さんの『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年)という本である。
 スピーチは、大飯原発で運転差し止め判決が出たにもかかわらず、関西電力は最高裁で逆転判決が出るだろうと楽観しているという話から始まった。その理由として、まずは1957年の砂川事件に対する最高裁判決が挙げられた。
 米軍砂川基地の拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして起訴された事件で、一審は「基地そのものが憲法九条違反」として無罪としたものの、最高裁は「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」という統治行為論をもって差し戻し、結局有罪とされた事件である。憲法より日米安保条約が上位の法であるかのような、いわば超法規的な判決を下したのである。
 一方、原発に関しては、原子力基本法に「わが国の安全保障に資することを目的として行うものとする」という文言が加えられたことが問題となる。東電福島第1原発事故後に、「原子力安全保安院」を経産省から分離して「原子力規制委員会」で安全行政を一元的に行なうという法律を民主党政権が作った際に、自民党の提言を入れてこの文言を盛り込んでしまったのである。
 「国家の安全保障に資する」原発は、おなじく国家の安全保障に資する「日米安全保障条約」と同じく、「高度な政治性を持つ」イッシュウとして超法規的(つまり権力にとっては恣意的に)に扱われる怖れが生じてしまったということなのだ。
 福井裁判にもかかわらず、裁判を通しての原発廃棄への道は必ずしも容易ではないということである。しかし、逆に考えてみよう。たとえ困難であっても、脱原発を国民の意思として民主的に実現させることは、政府の超法規的な判断の可能性を否定することである。集団的自衛権の問題と同じく、「安全保障」を目的とした憲法無視の政治を否定することなのだ。つまり、憲法が最上位の法規であることを認めさせることである。そういった意味において、集団的自衛権容認や特定秘密保護法などの解釈改憲で憲法を否定しようとしている自民党ネオ・ファシズム政権との闘いと、脱原発の運動は同等、同質の意義を持っているのだ。

 

2014年11月30日

 ネットは総選挙の話題一辺倒になりつつあるが、脱原発はそのまま政治思想の問題である。経済のためには福島の犠牲に眼をつぶる思想と、どんな命も等しく大事に思う思想とのバトルである。FBに目を惹く標語があった。

原発は アベもろともに さようなら

 大賀実恵子さんの投稿である。大賀さんの投稿したポスターの標語もいい。

原発 危険
アベが危険
棄権も危険

 フクシマ以降、どんな政治家も「脱原発依存」だとか「2030年には」だとか、ごまかしとはいえ積極的な原発推進は言えない状況が生まれたのに、安倍自民党政権はあっさりと積極的な原発再稼働にひっくり返してしまった。
 他の政治イッシュウもそうだろうが、今や、原発問題における最大の危険因子は安倍的政治思想であることは、疑いようがない。
 一番町から広瀬通りに曲ると、イチョウの並木もだいぶ葉を振るい落としている。デモの列が歩く車道の端には吹きだまりのようにイチョウの葉が重なっている。
 デモの翌日の朝日歌壇に次のような投稿短歌が選ばれていた。

銀杏(ぎんなん)の熟れて落ちたる実を踏みて金曜デモへ茱萸坂(ぐみざか)を上がる
   (東京都)白倉眞弓(永田和宏選)

 「茱萸坂」とはどこだろうとググったら、日比谷公園から国会議事堂前を通って首相官邸前に上って行く坂のことだった。東京でもこの仙台でも、銀杏の実、黄落の葉を踏みながらデモ人は行くのである。
 季節は違うけれども、私も何度か茱萸坂を上がって行ったことがある。
 1ヶ月前の日曜昼デモも良覚院丁公園からのデモだった。まったく同じコースを歩いて、晩翠通りから青葉通りに曲ったとき、ほとんど同じ構図で写真を撮ったのだが、欅の落葉はほとんど見られなかった。なのに、今日は枝に葉を残す木の方が少なくなっている。季節の移ろいは容赦がないのだ。
 デモが大通りにかかる頃、小雨が降り出してきた。傘を取り出して、前を歩く人に差し掛けてあげるご婦人もいたが、たいていはそのまま歩き続けた。

しぐるるや道は一すぢ 種田山頭火 [1]

 雨が降っても降らなくても、デモ人はまっすぐ歩いて行くしかないのである。

[1] 『定本 種田山頭火句集』(彌生書房 昭和46年)p.189。


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