かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展』 東京都美術館

2015年11月13日 | 展覧会

【2015年11月13日】

 東京都美術館で『モネ展』があると知ったとき、それを見に行くことに一瞬の躊躇があった。理由は二つほどあって、その一つは、予想される混雑のことである。若い頃から「人酔い」をする質なのだ。学生時代、東京という街を見たくて二度ほど出てみたが、人酔いで早々に仙台に引き返したことがあった。退職後、東京の街歩きをするようになって、街中の混雑では人酔いをすることはほとんどなくなったが、室内での人混みにはまだ自信がない。
 もう一つの理由はとてもつまらないことで、それに思い当たって我ながらがっかりした。最近は美術展を見た感想をブログに書くのを慣らいとしている。モネは有名だし、見る機会も多くて、書くべきことがありそうにない、というのがためらいの理由になっていた。書くことがなければ、ブログを書かなければすむことで、まったくの本末転倒である。
 取るに足りない戸惑いでモネの絵がたくさん展示されている美術展を見ないなどという選択肢はありえない。とはいえ、JR上野駅公園口から美術館に向かう人の列の中で少し気後れしているのは確かなのだった。

 〈「印象、日の出」から「睡蓮」まで〉という惹句が添えられた美術展だが、《印象、日の出》の展示は終わっていて、後期は《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》が展示されていた。じつは、このような目玉作品はあまりあてにはしていないのである。いつか、フェルメールの作品一点を目玉にした美術展で、作品前に群がる人々の背後からちらっと眺めて終わりにしたことがあった。そのときと同じように、《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》の前は格段の人だかりである。それでも、なんとか満足する程度にながめることができた。


《ポリーの肖像》1886年、油彩・カンヴァス、74×53cm
 (図録 [1]、p. 89)。

 展示は、「家族の肖像」のコーナーから始まっていたが、人物画としては次のコーナー「モティーフの狩人I」に展示されていた《ポリーの肖像》がよかった。
 モネが1886年に訪れたベリール島で、モネの世話をした漁師の肖像だという。質素な身なりで、どんな気構えもない純朴そうな人物がすっとまっすぐにこちらを見ている。
 とても希有なことだが、その瞳に見つめられると思わずたじろいでしまうほどにイノセンスを体現している人間がいる。イノセントな聖性とでも呼べばいいのだろうか。ポリーなる漁師もそのような人間に見える。もちろん、それはそのようなイノセンスを描ききることのできるモネの画力にほかならないのだが。 


《ヨット、夕暮れの効果》1885年、油彩・カンヴァス、54×65cm (図録、p. 87)。


《オランダのチューリップ畑》1886年、油彩・カンヴァス、54×81cm (図録、p. 91)。

 《ヨット、夕暮れの効果》も《オランダのチューリップ畑》も中央に帯状に広がる赤色がとても魅力的だ。しかも、二つの作品とも、ほぼ真ん中にヨットと風車が配されている。《印象、日の出》の小舟のような役割を、ヨットと風車が果たしているのであろう。
 細かく筆致が流れる方向に風が吹き、水が流れているようである。リアリズムを超える美の抽象があって、しかもぎりぎりのところで風景画として成立する領域なのではないか、などといくぶん大げさなことを思ってしまう。


《睡蓮》1907年、油彩・カンヴァス、100×73cm 
(図録、p. 102)。

 この《睡蓮》には、驚かされた。どう見ても睡蓮が主題だとは思えないほど、水面に映る夕映えが強烈だ。睡蓮以外は、すべて水面に反射する光景である。
 この《睡蓮》と並べられて展示されていた作品が、下の《睡蓮》である。上図とまったく同じ構図で、夕焼けの空が日中の青空に変わっているだけだ。夕焼けの《睡蓮》を見た後では、こちらの《睡蓮》も水面に映りこむ柳と空が主題ではないかと思えてしまう。


《睡蓮》1903年、油彩・カンヴァス、73×92cm (図録、p. 103)。


《睡蓮とアガパンサス》1914-17年、油彩・カンヴァス、140×120cm
 (図録、p. 107)。


《睡蓮》1916-19年、油彩・カンヴァス、200×180cm (図録、p. 111)。

 《睡蓮》という題にもかかわらず水面に映る光景が主題ではないか、そう思ってしまう作品を見た後で、《睡蓮とアガパンサス》を見るとごく普通にタイトルが主題を表していることに安心する。
 その流れで1916-19年の《睡蓮》を見ると、柳や青空が水面に映りこんではいても、この作品も間違いなく睡蓮が主題であると確信できる。白黄色の小さな睡蓮の花をいくつか描きこむだけで睡蓮が主題となったと思った。ところが、1903年の《睡蓮》にも花は描かれている。ただ、手前から奥までどの睡蓮にも同じように花を描いたことで睡蓮の主題化が薄れたのではないかと推測する。
 しかし、誰かが《睡蓮》と題された作品はすべて睡蓮が主題であると言い切ってしまえば、わたしの感想はまったく意味をなさないのだが、そのように感じたことだけは間違いない。


【左】《ドルチェアクアの城》1884年、油彩・カンヴァス、92×73cm (図録、p. 81)。
【右】《日本の橋》1918-24年、油彩・カンヴァス、89×100cm (図録、p. 129)。

 モネの晩年の作品は、まったくといっていいほど私には言うべきことはないのだが、最後にたくさんの《日本の橋》の中から上の作品を挙げておく。この絵を前にした背広姿の二人連れの片方が「日本の橋らしいが、分からないね」と言っていたのを聞きとがめたというわけではないが、そんなこともあって挙げてみたのだ。
 《ヨット、夕暮れの効果》や《オランダのチューリップ畑》の風景画で感じた風景画として成立するぎりぎりの限界までの抽象がもっと過激に進められた、そんなふうに思える。それでも、明らかに具象画である。
 78歳を過ぎてからのこの作品に、アーチ橋を描いた44歳の作品《ドルチェアクアの城》を並べて、画家の成熟を考えてみたいと思ったが、ことはそう簡単ではない。ただ、風景を描いたターナーもまた晩年になって抽象画と呼んでもいいほどの絵を描いていたことを思い出した。天才的な画家は、この世界の具象のことどもから「美」という抽象をあたかも具体物のように抽出できるかのようである。


 [1] 『マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展』(以下、図録)(日本テレビ放送網、2015年)。

 

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