かわたれどきの頁繰り

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『アルフレッド・シスレー展――印象派、空と水辺の風景画家』 練馬区立美術館

2015年11月12日 | 展覧会

【2015年11月12日】

 アルフレッド・シスレーの絵をまとめて見る機会は、私にとっては初めてだが、印象派関連の美術展が多いせいか、作品を見る機会そのものは多い。最近だけでも、2013年12月に『印象派を超えて 点描の画家たち』展(国立新美術館)、2014年2月に『モネ 風景を見る眼』展(国立西洋美術館)、9月に『オルセー美術館展』(国立新美術館)、2015年3月に『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)などで数点ずつのシスレー作品を見ている。
 シスレーは、私にとっての風景画というカテゴリーでイメージする絵画のほぼ中心に位置するもっとも好もしい画家の一人である(ヨンキントやピサロもいい)。プッサンやロイスダール、とくにドイツロマン派などのシスレー以前の風景画には、風景におけるドラマ性が強調されているように思うし、シスレー以後の風景画には風景を越えた美的表現に重心が移っている作品が多い。同時代のクールベの風景画にはリアリズムの持つ厳しさがある。
 シスレーの絵には、感情が揺すぶられるような圧倒的な感動は(正直に言って)ないのだが、心静かに眺めていられる、あるいは日々の暮らしでざらざらしてしまった感情を沈静化してくれるような風景の優しさが湛えられていると思うのだ。


《マルリーの通り》1879年、油彩・カンヴァス、38.0×55.2cm、
岡山、大原美術館 (図録 [1]、p. 30)。

 はじめに、展示作品の中で一番印象に残った(お気に入りになった)作品として《マルリーの通り》を挙げておく。石畳の歩道もあるが、馬車の通る道は土の道である。現代都市のように細々と区割りし、所有権を主張しているような街並みとは異なり、家々の間に大きなスペースを空間の余剰のように残している通りの風景である。
 日本の東北の小さな農村で生まれ育って、フランスなどとはなんの縁もない私にも、この風景はとても「懐かしい」のである。


《マントからショワジ=ル=ロワへの道》1872年、油彩・カンヴァス、46.0×56.0cm、
公益財団法人吉野石膏美術振興財団(山形美術館に寄託) (図録、p. 22)。


《麦畑から見たモレ》1886年、油彩・カンヴァス、51.0×73.0cm、
東京、松岡美術館 (図録、p. 40)。


《ロワン河畔》1891年、油彩・カンヴァス、59.6×57.4cm、
神奈川、ポーラ美術館 (図録、p. 42)。

 いつの頃からか判然としないずっと若いときから、洋画における風景画というと楡やポプラの並木のある街道が描かれている光景を思い浮かべてしまう。そのようなイメージがどんなプロセスや経験で形づくられたものか記憶にはまったくないが、それはたぶん私にとってもっとも好もしい風景画にちがいない。
 上の三作品は、並木道という私の原初的なイメージそのものというわけではないが、木々が主要な構成要素になっている。樹種は分からないが、《麦畑から見たモレ》に描かれているような細く高く立ち上がる木に心惹かれる。このような樹形の木は、日本ではポプラぐらいしか思いつかないが、森や林ではなく、街道沿いの並木にふさわしい樹形ではある。
 《ロワン河畔》では、木々のある風景に水辺の風景が加えられている。「印象派、空と水辺の風景画家」という美術展のサブタイトル通り、水辺の風景が主題の作品も多く展示されていた。


《サン=マメス》1885年、油彩・カンヴァス、54.5×73.0cm、
公益財団法人ひろしま美術館 (図録、p. 38)。


《サン=マメスのロワン河》1885年、油彩・カンヴァス、38.7×55.6cm、
神奈川、ポーラ美術館 (図録、p. 39)。


《レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ》1897年、油彩・カンヴァス、
65.0×81.0cm、東京富士美術館 (図録、p. 43)。

 水辺を描いた作品で印象が強かったのは、《サン=マメスのロワン河》である。空と水の青、木々の緑、枯れ草の色の中で二軒の家の屋根の赤が映えている。シスレーの絵の多くを知っているわけではないが、シスレー作品にこのような色彩配置は珍しいのではないかと思って眺めていた。
 《レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ》は、フランスではなくイギリスの風景だが、砂浜と岩の岬と海と空という構図の作品はほかの画家でも何度も見ているように思う。今は、モネの「波立つプールヴィルの海」[2] ぐらいしか思い浮かばないが、画家たちにとって構図的に安定した魅力があるのだろう。


《ルーヴシエンヌの一隅》1872年、油彩・カンヴァス、45.9×39.8cm、
東京、三菱一号館美術館寄託 (図録、p. 23)。


《ヒースの原》1880年、油彩・カンヴァス、50.0×73.0cm、
個人蔵 (図録、p. 31)。


《サン=マメスの平原、2月》1881年、油彩・カンヴァス、55.0×73.0cm、
サントリーコレクション (図録、p. 34)。

 木々の緑、青い空と海ばかりではない。当たり前のことだが、冬枯れで葉をすっかり振るい落した冬の風景も描かれている。若くて体力任せに山歩きをしていた頃、奥深い山里に住む老人に「山を知りたければ、冬の山を歩け」と教えられたことがある。葉を振るい落した冬枯れの山では景色が遠望できて、山の地形をよく観察することができるから、ということだった。危険な冬山に挑む度胸がなくてそれは適わなかったが、冬枯れの木々の間から、シスレーの描く台地の構造が見えるのではないか、などと思ったのである。
 木々の葉に遮られずに遠望できるという感じは《サン=マメスの平原、2月》だけで、しかもこの絵でもとくに見えていなかった大地の構図が顕わに見えてくるということはない。考えてみれば当然のことで、緑の木々を描いたにせよ、そこから見え隠れする大地の構造の魅力を描くのが風景画なのであって、それを描ききることが画家の力量というものだろう。
 むしろ、3枚の絵を並べてあらためて興味がわいたのは、葉が1枚もない木の構造がそれぞれ異なっているということだった。明らかに樹種の異なる木の幹と枝が描き分けられている。ここにも優れた風景画の秘密があるように思える。異なった樹種であることを明晰に把握した上でこれらの木々は風景に配されているのだ。もちろん、優れた風景画家は優れた植物学者だなどというつもりはない。ただ、緑の木々だなどという漠然とした括りで、風景に向かい合う私(たち)とは違うということだけは確かなことだ。


鈴木良三《モレーの寺院》1931年、油彩・カンヴァス、80.3×65.2cm、
目黒区美術館 (図録、p. 71)。

 最後に「シスレーの地を訪ねた日本人画家」というコーナーが設けられていて、中村彝、正宗得三郎、中村研一、鈴木良三の作品が展示されていた。
 鈴木良三の《モレーの寺院》は、シスレーの《モレの教会、夕べ》とまったく同じ構図で描かれているが、教会の壁の質感に圧倒された。壁の厚みが見えるのだ。

 20点のシスレー作品の展示というのは個人展としてけっして多いわけではないが、一方、これだけの作品が日本国内で所蔵されているということには少しならず驚く。丁寧なことに、図録には「国内所在のシスレー作品リスト」(p. 162) が添えられていて、さらに同数の非展示の作品の所在も示されている。
 シスレー作品を見終えた後、続く部屋には「シスレーが描いた水面・セーヌ川とその支流 ―河川工学的アプローチ―」というきわめて学術的な展示があった。図録にはその内容が収録されているばかりではなく、シスレー作品に関わる多くの資料も収められて、大部の図書になっている。展示作品鑑賞後の楽しみも多く残されるという美術展であった。


[1] 『アルフレッド・シスレー展――印象派、空と水辺の風景画家』(以下、図録)(練馬区立美術館、2015年)。
[2] 『モネ、風景をみる眼――19世紀フランス風景画の革新』(TBSテレビ、2013年)p. 82。

 

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