かわたれどきの頁繰り

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【書評】 『クァジーモド全詩集』(河島英昭訳) (筑摩書房、1996年)

2012年09月20日 | 読書



 サルヴァトーレ・クァジーモド、1901年シチリア島生まれ、14才(1915年)から詩作を始め、29才(1930年)で処女詩集『水と土』、57才で決定版第5詩集『比類なき土地』を刊行し、翌1959年ノーベル文学賞、1969年67才で死去。

 58才でノーベル賞を受賞するというのは早いかどうか、こうした大きな賞の受賞の芸術家の創造活動への影響については議論があるところだろう。訳者の河島英昭は「解説」で、次のように簡潔に触れている。 

……クァジーモド自身の詩は、『比類なき土地』(五八)のなかで、《対話詩》や《社会詩》のいずれの面においても必ずしも充分な展開はみせないまま、一九五九年秋のノーベル賞受貰が決定してしまった。そして何よりも、ウンガレッティとモンターレという、先行する巨大な二詩人が存在したために、毀誉褒貶相半ばするなかで、クァジーモドが落着いて真価を発揮する作詩の機会は失われてしまつた。 [1] 

 社会的に評価されている賞に限らず、社会的な有形的な(あるいは有価値的な)評価が、創造活動の「上がり」としか見なせないタイプの芸術家がいることは確かだが、クァジーモドの場合は受賞前年に発病したしたという健康上の理由もあったという。

人はみな独りで地心の上に立っている
太陽のひとすじの光に貫かれ、
そしてすぐに日が暮れる。
        「そしてすぐに日が暮れる」全文 [2] 

 この詩が処女詩集『水と土』の巻頭を飾る詩である。目に見える周囲としての「自然」とそれを見ている「自分」、「そしてすぐ日が暮れる」という詩句に、この詩人の未来を予感させる感受性の繊細がある。
 クァジーモドは、8才の頃、メッシーナ大地震による廃墟、混乱のなかの略奪者、それを鎮圧する軍警、そして夥しい屍を見たという。しかし、記憶も経験も成熟を必要とする。 

ぼくは病んでここに目覚める、
見知らぬ土地の苦さを噛みしめ
ぼくに愛を芽吹かせる
歌の変りやすい憐れみと
人びとと死の苦さを噛みしめつつ。
           「ぼくの土地で」部分 [3]

 人生の「苦さ」と「哀しみ」が、「愛の芽吹き」とともに成熟を始める。そして、その頃から「あなた」が頻繁に登場する。後年、《対話詩》なるものを主張することになる対話の相手であろうか。
 しかし、その具体的なイメージはわかりにくい。ただ単に、「詩人の独白の相手」 [4] というもっとも単純なものから、祈りの対象の神と受け取れる場合もある。ファシズム、そして第二次世界大戦を経験し、《対話詩》と《社会詩》を主張するクァジーモドにとって、この「あなた」もまた、成熟する必要があったのだろう。

 「あなた」の理想的な形は、たとえば、フッサールの「間主観性」を確かなものにする他者であり、あるいは、大澤真幸の「第三者の審級」を与えてくれる他者、と考えればよいだろう。そうであれば、詩人の想世界での「あなた」は、恋人から神へ、路傍の死者から自己の死を見ている他者としての自己へと自在に変容するのは、むしろ望ましい自然なふるまいと言えるのではないか。
 「あなた」のいくつかの例を挙げておこう。 

あなたを知っている。あなたのなかにすべては
失われていった、胸をあげて美は
腰に穴を穿ち、そして妙なる仕草で
おずおずと恥骨をひらいてゆく、
そしてまた調和のなかへ降りてゆく
十の貝殻をちりばめたあの美しい足もとへ。

けれども捕えてみれば、またしても
あなたはぼくの言葉であり悲しみだ。
                   「言葉」部分 [5]

ぼくは悔やんでいる
あなたに血を捧げてしまったことを、
主よ、ぼくの隠れ家よ。
           「ある修道士の聖像の嘆き」部分 [6] 

鋭い誕生の痛み、
見ればぼくはあなたに繋がれてゆく、
あなたのうちに折れる、そして無垢へと戻る。
                        「秋」部分 [7] 

ぼくの声のなかにあなたは訪れる。
闇のなかを静かな光が
矢となって降り注いでくる
そしてあなたの頭を取りまく星屑の雲。
宙吊りにされてぼくは、天使と、死者と、
弓なりに燃えたつ虚空とに、仰天している。

ぼくのではない、しかし空間のなかでは
燃え上って、ぼくのなかでは震えている、
あなたは闇と高さで作られている。
           「闇と高さで作られている」全文 [8]

あなたは望まない、悲歌も、牧歌も。ただ
わたしたちの命運のいわれだけを。ここで、
あなたは、優しく、精神の対立物に
命の明白なる存在物に
不安を抱いている。だが命はここにある、
確信にも似た一切の拒否のうちに。
              「アウシュヴィッツ」部分 [9]

 「人はみな独りで地心の上に立っている/太陽のひとすじの光に貫かれ、/そしてすぐに日が暮れる。」と繊細な精神の不安をイメージ化して始まった詩業は、ファシズムの暴力の洗礼によって大きく変容を受ける。《社会詩》を主張するようになる根拠でもある。

神話の罪びとが
思い出させる無邪気さよ、
あるいは永遠よ。そして掠奪、
そしてまた十字架の傷あと。

罪びとはすでにあなたの善と悪の相貌をとった、
そしてあなたは、はや、地上の祖国が
苦しむさまを思い描いている。
           「神話の罪びと」全文 [10]

虚しくも埃りのなかを探し求める、
哀れな手よ、この街は死んだ。
街は死んだ、最後の轟きも運河の心に
谺して絶えた。修道院の風見の上で、
日暮れまでは鳴いていた、夜鳴鶯も
尖塔から落ちてしまった。
中庭という中庭に井戸を掘るな、
命ある者はもう渇いていない。
手を触れるな、このように赤い、このように腫れあがった
死者たちには、死者たちは彼らの家の土に帰せしめよ。
街は死んだ、この街は死んだ。
           「ミラーノ、一九四三年八月」全文 [11]

 クァジーモドは戦後解放の高揚感によって(と想像する)一時的にイタリア共産党に入党する。そして「イタリアは私の国」 [12] のような詩を書くが、私はその詩を選ばない。かつて、「社会主義リアリズム」とか称して厖大な駄作を生みだした左翼文学活動があったが、その匂いがする。誤解のないように言っておくが、左翼文学全般のことではない、政治主導のもとに、などと称するたぐいの文学のことである。

 しかし、クァジーモドにとってはごく短い期間であったのだろう。上記の詩以外にはそのような詩はほとんどない。ただ、名声を得て旅行しつつ書いたような世界の土地をめぐる詩はまったく興味を引かなかった。ちょうど、俳句の「全句集」で吟行旅行よって作句された一連の句は読み飛ばしたくなるときのような感じである。

 そんな詩もあるが、クァジーモドは成熟する。

わが人生は路傍に微笑む人びとや
残忍な者たちとの巡り合いであったが、わが風景の
どこの戸口にも把っ手はついていない。
死への備えなど何もない、
物事の始まりはわかっている、
終りは一つの平面だ、そこへ
影の侵入者は旅立ってゆく
わたしは知らない、他の影のことは。
           「見えつ、隠れつ」部分 [12]

 少し、理が強すぎる気もするが、この平静は何ということだろう。私の老成(成ではないか)とは較ぶべくもない。

 詩人の「最初の詩」から始めた文を、詩人の「最後の詩」で終わろうと思う。「セスト・サン・ジョヴアンニの病院にて、一九六五年十一月」という題註が付与された(心臓発作で入院したベッドの上で書かれたらしい)詩である。

わたしの影法師が映っている、病院の
もう一つの壁に。花々は飾られているが、夜更けには
招き入れる。ボブラの樹々を、鈴懸を、公園から。
黄ばまずに、白茶けて、葉を落としてしまった
樹列を。アイルランド系修道女会の看護婦たちは
決して死を口にしない、風に吹かれて彼女たちは
動きまわるのか、うら若く汚れない身であることさえ
かえりみない。立てた誓いが、厳しい
祈りのうちに、解き放たれていくから。
一人の移民になったような気がして、わたしは
寝具にくるまり、目を見張って、心は穏やかだ、
この地上にあることで。たぶん絶えまなく死んでいるのだ。
けれども喜んで耳を傾けてはいる、決して理解できなかった
命の言葉に、いつもわたしが留ってきた
長い長い仮説の上に。たしかに逃げ出すことはできないだろう
命にも死にも忠実でありつづけるだろう、
肉体のなかでも精神のなかでも
予測された、目に見える、あらゆる方角のなかで。
問隔を置いて、何ものかがわたしを追い越してゆく
軽やかに、忍耐強い時間が、
死と幻想とのあいだを
駆けめぐる不条理の間隙が、
胸の奥で打つ音が。
        「花々は飾られているが夜更けには招き入れるボプラの樹々を」全文  [14]

 

[1] 河島英昭「解説」『クァジーモド全詩集』(河島英昭訳)(筑摩書房、1996年) p. 424、(以下、『クァジーモド全詩集』は『全詩集』と略する)。
[2] 「水と土」『全詩集』 p. 6。

[3] 「沈んだ木笛」『全詩集』 p. 42。
[4] 河島英昭「解説」『全詩集』 p. 427。
[5] 「沈んだ木笛」『全詩集』 p. 48-9。
[6] 「沈んだ木笛」『全詩集』 p. 58。
[7] 「沈んだ木笛」『全詩集』 p. 63。
[8] 「沈んだ木笛」 p. 85。
[9] 第四詩集「萌えゆく緑と散りゆく緑」『全詩集』 p. 243。
[10] 「新詩篇」『全詩集』 p. 130。
[11] 第二詩集「来る日も来る日も」『全詩集』 p. 179。
[12] 第五詩集「比類なき土地」『全詩集』 p. 2548。
[13] 第五詩集「比類なき土地」『全詩集』 p. 243。
[14] 第六詩集「与えることと持つこと」『全詩集』 p. 346-7。



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