《2017年8月4日》
テレビのチャンネルをつぎつぎと切り替えていて、こんな場面が目にとまった。韓国ドラマの一シーンである。
「お子さんの誕生日を覚えていますか?」
医者が70歳くらいの老婦人に尋ねる。
「長男は〇〇年▽月××日に生まれました。」
「それでは、こちらのお子さんの誕生日はいつですか?」
母親に付き添ってきた息子(次男らしい)を見ながら、医者はかさねて質問する。母は、隣の息子の顔をじっと見つめるが、答えられない。息子は答えを促しもせず、笑顔を絶やさず母親の言葉を黙って待っている。
母親の認知症の診断の場面である。102歳で亡くなった私の母のことを思い出した。特養ホームに入っていた母親の話は、しだいに昔のことばかりになってきて、話に登場する人物も場所も私はよく知らないものばかりだった。それは、長男と次男が生まれた4、5年の間のことで、その頃、母は20代半ばだった。
母の人生のハイライトシーンが初めての子供が生まれたころというのは、なんとなく理解できる。長い人生の多くの記憶が薄れていくなかで、そのハイライトの時代のことどもが心に深く残り続けていたのだろう。
母はしだいに人の識別も難しくなってくる。6人の子どもの中で最初にわからなくなったのは末っ子の私の顔である。たぶん6人の子どもの中で一番足繁くホームに通っていた私を最初に忘れたのだ。なにしろ私は母が42歳の時に生まれた子どもなのだ。長男とは17歳も離れている。母のハイライトの時代から最も遠い時代を一緒に生きていたということだ。
ただ、母の記憶の中心が20代半ばであることを知っていたので、私の顔を誰よりも先に見分けられなくなったことはとくに驚きではなかった。すなおに納得できたのだった。
さて、先の韓国のテレビドラマだが、「ディア・マイ・フレンズ」というタイトルで、認知症の女性を含む幼馴染の5人の老婦人の友情を描いたものらしい。一人は独身で、中卒なのだが高卒認定試験の勉強中で、大学で学ぶことを願っている。一人はがんの手術から生還して元気に生きている。一人は、進行癌の手術を控えて一人娘と旅行しながら田舎の両親を訪ねたりしている。もう一人はそんな友人たちを助けたくて、家事のまったくできない夫を捨ててまでも家を出ようとする。もう一人、認知症の女性をずっと想い続けている老教授も登場する。
こういうドラマなら見てもいいかな、と思ったのだが、私が見たのは15回連続の14話目だった。私のテレビとの付き合いはこんなものである。
母親に最初に忘れられた子どもは、今日もデモに行くのである。東北の小さな田舎で生まれ育ち死んだ母は政治的なデモのことはまったく知らないと兄姉たちは思っているが、私の学生時代に何度か訪ねてきた母は私のデモのことはよく知っていたのである。ただ、ほかの子どもたちには何も話さなかっただけのことなのだ。
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