かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(19)

2025年02月11日 | 脱原発

2017年6月23日

 6月6日に起きた日本原子力開発機構大洗研究開発センターの汚染・被ばく事故はおおよそ以下のようなものだった。

 核燃料物質を収納した貯蔵容器の点検作業中、貯蔵容器内にある核燃料物質が入った容器を封入した樹脂製の袋が爆発し、作業員5名に身体汚染が発生した。汚染検査の結果、鼻腔内に最大24Bq(α線)を確認した。
 核燃料サイクル工学研究所における肺モニタ測定により、最大22,000Bq(Pu-239)が確認されたため、国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構放射線医学総合研究所(放医研)に移送した。
 放医研の検査の結果、肺へのPu-239の吸入は認められず、微量のアメリシウム(Am-241)が検出された(当初の22,000Bqという数字は、胸部の外部汚染を誤測定したものと推定)。
 当初、「核燃料物質」とのみ発表していたが、高速実験炉「常陽」で実験する燃料の試料を作った際に出たくずで、約300グラムの粉末をエポキシ樹脂で固めてポリエチレン製の容器に入れられ、二重のビニール袋で密閉したうえで、金属製容器に入れて26年間保管していたものということだ。

 この汚染・被ばく事故には「政治的」な問題と「技術的」な問題とがある。
 政治的な問題とカテゴライズするにはいくぶんかの逡巡があるが、「核燃料物質」とのみ発表する原子力開発機構の判断は、多くの憶測の原因となった。汚染として検出された放射能核種がPu-239だったことから、ほぼ純粋なプルトニウムである兵器級の核物質ではないかと疑う人もいた。兵器級ならもちろん国際問題に発展するので公然化することはできない。
 このような憶測に立つ人は、肺へのプルトニウムの吸入はなかったとする放医研の発表も、不都合な事実の隠蔽ではないかと疑ってしまうことになる。3・11以来、原子力に関連する産・官・学の発表は隠蔽、ごまかしが圧倒的だったので、このような最悪の推測が生まれてしまうのだ。
 高速増殖炉用の核燃料の一部だったというマスコミ発表があっても、まだ「核燃料物質」の実態が明らかになったとは言えない。高速増殖炉とは、核分裂を起こさないU-238に中性子を吸収させて核分裂を起こすPu-239に変換させることで、原子炉を運転しながら核燃料を増殖しようとするものである。そこで使用される「核燃料物質」にはU-235を濃縮したものやPu-239を混ぜたMOX燃料など核分裂を起こして大量の中性子を発生させる「核燃料物質」と、中性子を吸収するU-238を主体とした「核燃料物質」とがあって、発表からはU-235、 Pu-239 、U-238の割合の見当がつかない。ほとんどがウラニウムなら22,000Bq のPu-239汚染の背後には大量のウラニウム汚染があることになり、純粋なプルトニウムなら大きな汚染量ではないともいえる。
 このような事情を理解するためには「比放射能」という概念が必要である。「比放射能」というのは、同じ量の放射性核種があったときの放射線を出す量の比のことで、半減期が短い核種ほど比放射能が高いのである。ウラニウムとプルトニウムが共存しているとき、半減期が二桁も短いプルトニウムだけが検出されるのはそのためである。この汚染・被ばく事故でプルトニウムだけが検出されたのは「比放射能」を考えればそれなりに理解できるが、どういう組成の核燃料物質か明らかでない以上、ウラニウムの大量の飛散があったのかどうかは判断できないのである。
 とまれかくまれ、正しい情報を与えなければ憶測を呼ぶだけというのはどうしても避けがたい。多くの憶測のなかには当然ながら間違ったものも含まれる。しかし、そうした憶測がたとえ間違っていようとも、正しい情報を出さない側、隠蔽する側が非難することはできない。

 技術的な問題は明らかである。核燃料粉末をエポキシ樹脂で固めたこと、ポリエチレン容器に密封したこと、長期間放置したこと、ガス発生が予測できなかったこと、ことごとく科学・技術としては低劣なレベルとしか言いようがない。
 U-235、 Pu-239 、U-238のどれもα線を放出して核変換する原子核である。α線はヘリウムの原子核なのでヘリウムガスが発生する。有機高分子重合体であるエポキシ樹脂もポリエチレンも高エネルギーのα線によって局所的に化学結合がバラバラにされる。分解された炭素や水素が再結合してメタンやエチレン、水素ガスなど分子量の少ない化合物となるが、これらはすべて常温では気体である。
 加えて、放射線はポリエチレンやビニール袋を劣化させる。日光に1、2年さらされたビニール袋がボロボロになるのは紫外線によって重合有機物の結合が切断されるためである。高エネルギーの核放射線による有機化合物の放射線損傷は紫外線の比ではない。
 核燃料粉末を固めた樹脂は劣化してボロボロになっていて、ポリエチレン容器もビニール袋も元の強度は失われた状態で、金属容器の蓋を開ければガス圧で爆発するのは容易に想定できるはずのものだ(想定していたという報道もあったが、想定していながら爆発させたなら犯罪と言っていいだろう)。
 こうした事柄を作業前に想起できない科学的知識、技術力とはいかなるものか、それを想像することすら難しい。40年以上も前に大学院修士課程まで原子力工学を専攻した身なのだが、もともと原子力工学の科学的力量がこんなものだったのか、国家権力の全面的差配下ではいかなる学問も劣化するように原子力推進という国家方針の保護下で原子力工学も著しく劣化したのか、今の私には判断できない。
 いずれにせよ、日本原子力開発機構は、文字通り日本における原子力技術の開発、研究の中心となっている組織である。その組織でこの程度の核燃料の扱いしかできない事実は、日本の社会には核燃料を扱うことを許容しうるような人的、組織的な機関は存在しないということだろう。
 核燃料を扱わないで済む「脱原発の未来」へ踏み出すしか論理的な結論はない。


 
街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。