かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(49)

2025年02月22日 | 脱原発

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 今日の市民へのアピール文の主題は、金デモのような市民運動に牙をむくに違いない「共謀罪」法案と、同じく国会で審議されている「日印原子力協定」承認案の二つが中心だった。「共謀罪」法案への反対は全国的な規模で起きているが、ネットは加計学園とアベトモジャーナリストの犯罪疑惑で賑わっている。どれも安倍首相が中心にいる「大事件」である。
 いずれも内閣が崩壊しても不思議ではないほどの事件だが、かつて内閣総辞職に力があったマスコミジャーナリズムは今ではすっかり弱体化してしまった。今、期待できるのは、国会での野党の闘い方と、私たちの市民運動だけである。それに、ネット世論がいくらか役に立つかもしれない。
 加計学園問題で潮目が変わったと言う人たちもいるが、私にはよくわからない。政府権力に引導を渡す決定的な力、手段を野党も私たち市民も手にしていないように思う。動かないマスコミのために、倒閣の世論形成が必ずしも容易ではないのだ。自民党内部の動きに期待する向きもあるが、私個人としては自民党のどんな部分にも期待するのは嫌だ。




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 水曜日(614日)から翌日の朝まで、テレビならぬスマホに張り付いていた。予想通りと言えばそれまでだが、またまた強行採決である。もうそのことしか書くことがない、と思い込んでパソコンに向かったが、まったく書くことが思いつかない。
 ブチ切れそうになるほど怒っているということも、書くことが思いつかない理由でもあるだろうが、どうもそればかりではない。このような悪い状況では、私としてはなにがしかパフォーマティブな言葉を書きたかったのだ。
 しかし、パフォーマティブな言葉はパフォーマティブな日々に少しずつ紡がれるのだろう。戦争法案のときのように、この「共謀罪」法案では国会前に出かけることはなかった。614日当日に、知人の何人かは仙台から国会前に出かけた。それを聞いてから、私自身が一度も東京へ行こうと思わなかったことに気づいて、そんな自分を訝しくさえ思えたのだった。
 行動が伴わない言説は意味がないとは必ずしも思わない。しかし今回は、遂行された行為に裏打ちされた行為遂行的な言葉が欲しかったのだが、それはないものねだりだった。
 せめてこれから必死で考えよう。成立した「共謀罪」法に反対するパフォーマティブな言葉と日々の行いのことをじっくりと考えてみたい。さしあたっては、ブログであれ、手紙であれ、会話であれ、自公政権への批判や悪口の度合いをもう少し強めておこう。さしあたっては、脱原発デモばかりではなく他のイシューのデモももう少し気合を入れて参加しよう。
 そのうえで、反共謀罪的な日々の営みをなんとか構築して、何年あるかわからない残りの人生を生きることにする。615日にそんなことを考えた。国会に突入した樺美智子さんの命日に、国会前に行けなかった私はささやかな決意だけはしておくのである。
 少し心が治まった。

 共謀罪についてあらためて書くことがないなあ、と思いなしたことにはおそらくもう一つの理由がある。14日の昼過ぎから15日の朝まで、ネットで流れるニュースや評論や意見表明をたくさん読んだ。個人で考える範囲を大きく超えたさまざまな考えがネットで飛び交っていれば、ことさららしく私見を述べるなどという気分は薄れる。
 15日になって次のようなツイートを読んだのを最後に、ネット情報の海からから這い上がったのだ(最近、スクショなるものができるようになった)。

 
 先の大戦で多大な犠牲を払って戦後民主主義は生まれた。しかし、その犠牲は民主主義を勝ち取るために支払った犠牲ではない。軍国主義、天皇制ファシズムによって強いられた犠牲だった。
 日本人は自らの力で民主主義を獲得したのではない、あるいは、日本人は近代的自我形成を経ないまま現在に至っている、などとしばしば指摘されてきた。であれば、今、日本人としての私たちは民主主義を自らの手で獲得する歴史上の一点に立っていると言うことができるのではないか。安倍晋三は、日本人が真剣に民主主義を考える機会を与えているのだ。沖縄・辺野古であれ、「もり・かけ」疑惑であれ、性犯罪の握り潰しであれ、国会運営であれ、もののみごとに反民主主義的な政治というものの実態を安倍政権は国民に教えてくれているではないか。
 この時代を経て、日本の民主主義は「もっと強くなって復活する」。それは、期待でもあるが、決意でもあるだろう。

 

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