北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
銀杏屋の雛祭り
八幡西区石坂に、
旧長崎街道が栄えた頃の「立場茶屋」があります。
立場茶屋(たてばちゃや)とは、
旧街道筋の宿場と宿場の間にある休憩所のことです。
旧長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間にあった立場茶屋が、
この銀杏屋(いちょうや)です。
参勤交代の諸大名をはじめ長崎奉行、
巡見使などが休憩した所で、伊能忠敬らも、
ここで昼食を取った記録が残されているそうです。
(一般の人(庶民)は利用出来なかったとか。)
ここ「立場茶屋銀杏屋」での「ひな祭り」も今年で9回目。
先週、土曜(27日)に、チョット行ってきました。
地域の方々から寄贈された「ひな壇飾り」や、「さげもん」、
「糸まりの下げ飾り」「大小の糸まり」「竹びな」
「巨大びな」等が展示されていました。
(地域の人による手作りの雛祭りです。)
期間・日時は、2月20日(土)~3月14日(日) 10時~16時
(3月1日~3日は観覧者に甘酒・ひなあられが振舞われるそうです。)
すぐ近くの有名な「石坂の急坂」を下りてみました。
この橋は「石坂橋」です。その下を黒川が流れており、
南側には「畑の貯水池」が見えました。
「石坂の急坂」とは、
長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間にある難所でした。
現在は階段が出来ていて、そんなに急でもないが、
当時の黒崎方面からは、今の小嶺インターチェンジ付近から
山を登り、頂上から、「アケ坂」という急坂を下り、
さらに中の谷の谷底から上石坂の急坂を登るという難所でした。
この為、大名でさえも駕籠を降りてあるいたと言われています。
(説明パンフより) この文章、あまり理解できないなあ?
急坂を登って、「銀杏屋」に引き返しました。
大きな銀杏の木がみえます。それ故に、ここの立場茶屋は
「銀杏屋敷・銀杏屋」と呼ばれるようになりました。
この銀杏の木は、
天保7年(1836)10月の火災で屋敷は焼失したが、
この木だけは残ったそうです。
母屋は焼失直後から翌8年にかけて建替えられたものです。
これを市が、
平成8年に整備して一般公開出来るようにしました。
市の指定文化財に指定されています。
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