北九州八幡から発信
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黒崎・撥川(ばちがわ)
撥川は、
帆柱山を源流として、黒崎・岸の浦を経て洞海湾に流れる
全長約4Kmの小さな川です。
以前は、川幅は狭く両岸をコンクリートで固めた川で、
特に、岸の浦の住宅街(社宅街)では、川じゃなくて、
溝かドブ、と言った方が、わかり易かった。
(其れなりの臭いも漂っていた。)
社宅が撤去された後、公共施設や年金病院の移転(移動)、
さらには、文化ホール・図書館等の建設も予定されています。
それと並行して、この撥川の整備が行われ、
この辺りは、これぞ川の原型だ!
と云った感じの川になりました。
5年前の平成17年に完成し、今ではホタルが飛び交う程に。
毎年、「撥川ほたる祭り」が行われており、
今年は、5月29日(土)です。
実は撥川の整備が完了したのは、旧年金病院跡までで、
それより下流は、現在工事が行われています。
この先は住宅が密集しており、
川幅もそんなに広げられないだろう。
街の中の新しい川は、どんな風に変身するのだろうか?
旧年金病院~国道3号(平成25年完成予定)、
さらに洞海湾まで進みます。
旧年金病院前の通りから、
約50m下った所にある橋(上の写真に見えます)
この橋を乱橋(みだればし)と云います。
長崎街道・黒崎宿を調べていると、必ず出てくる橋です。
この橋を渡って、旅人は長崎へ、京・江戸へと、
実際、今の橋はいつ頃、造り替えられたのだろうか?
撥川の改修に伴い、往年の姿を取り戻せないものだろうか?
下の左の写真「亂橋」と書かれたプレートが埋め込まれていたのだが、
何故か、剥がされていた。(【亂】は【乱】の古い字体です。)
「乱橋」の由来の説
そのー1
この辺り、ホタルの群舞が橋に邪魔されて乱れ飛ぶ様子から
「乱橋」、となったと言う説。
「黒崎十二景碑」の中に、
”ほたる飛 松のはずれや みだれ橋” と詠まれています。
*「黒崎十二景碑」とは、
岡田宮内にある句碑で、黒崎を訪れた俳人や黒崎出身の俳人が、
黒崎にちなんだで詠んだ句が、並べられています。
そのー2
昔、この周辺は遊郭だった。
行こうか行くまいか、心が乱れたり、思案したり、
故に「乱橋」、となった。 長崎の「思案橋」と同じ??
どちらの説が、有力だと思いますか?
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