北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
洞海湾を渡る
久しぶりに(何年ぶりだろう?)、若戸渡船に乗りました。
若戸大橋が出来た時、廃止されるとの噂もあったが、
ドッコイ、今も健在です。 (北九州市営です。)
若松・戸畑間の洞海湾の入り口を、わずか3分で結ぶ渡し船。
料金が20円、50円の頃までは覚えている。
改札口に箱があって、お金は直接その箱の中に入れていた。
今では自動販売機でキップを買って、普通の改札です。
現金の直接投入の名物?は、
名物として残した方が良かったのになあ!
料金は大人100円、子供50円、自転車は別途50円でした。
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自動キップ販売機と、桟橋へと向かうお客さん。
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(↓ 下の画像)
上 船の到着を待っています。
(向こうに見えるのは戸畑のニッスイの建物)
中 渡し船(連絡船)の到着、
くき丸(19トン旅客定員110人)です。
下 係員にキップを渡して乗船です。(改札です。)
ピストン運転で、
「くき丸」は戸畑からの客2名を乗せて来ました。
若松からは、50人以上は乗ったかな?(3分間の船旅です。)
戸畑の渡し場です。
左にチラッと見えるのが、乗ってきた「くき丸」。
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何で又、
若松から船に乗って、戸畑に着いた~
なのか?
実は、「若松あじさい祭り」の帰りでした。
(だから、お客さんも多かった。)
19日(日)、梅雨の真っ只中、朝から怪しい天気、
それでも一応、止んでいたので、出かけました。
ここは若松南海岸通り、
若戸大橋をバックにアジサイが主役です。
高塔山山頂のお祭り広場です。
若松名物の「五平太ばやし」の演奏をやっていました。
下の写真に、
河童封じの地蔵尊が安置されているお堂が見えます。
今年は、ちゃんとお地蔵さんの背中の釘を確認しました。
山頂付近あったアジサイをご覧下さい。
(ちょうど、見頃でした。)
山頂から見た若戸大橋
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元に戻って、また若松南海岸通りです。
旧古河鉱業若松ビル、
大正8年(1919年)建設、若松レトロ街の中心的な建物です。
この旧古河鉱業若松ビルの中で見た、旧若松駅の写真です。
モノクロで分かり難いが、
建設は門司港駅・折尾駅と、ほゞ同じ時期で、同じ設計者?
現在の駅に建て替えられたのは、昭和5x年?。
現在の若松駅
若松あじさい祭りに行ったのは、3年連続です。
若松と言えば河童、「たゞ、河童で有名だ!」
ってことしか、頭に無かった。
高塔山の山頂に、河童封じの地蔵尊のお堂があるのに、
只、カメラの被写体としか、考えていなかった。
去年も、同じような記事のアップだったが、
皆さんのコメントから、
「河童封じの地蔵尊」のことを、はじめて知った。
古くから若松に伝わる「河童封じのお地蔵尊さん」の話、
これを火野葦平が小説「石と釘」に、まとめ、
一躍有名になったそうです。
ネットで調べると、お地蔵さんの背中の釘のことも分かります。
去年までは、チョットお参りしただけでしたが、
今年は、
お賽銭をあげて、お線香を焚いて、入念にお参りした後、
お地蔵さんの横に廻って、背中を見ました。
(お堂内は狭いです。)
釘と言うより鉄の杭が刺さっていた。
不謹慎だと思ったが、腕を伸ばして触ってもみました。
古い民話、小説の世界に触れたような?
何とも言えぬ気分になりました。
「河童封じ地蔵 」「石と釘」、検索すれば色々出てきます。
参考までに、こちらをご覧下さい。「カッパ封じ地蔵」
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