北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
皿倉山山麓(帆柱町と天神町)
先日、皿倉山の麓の帆柱町から、
大谷方面の天神町まで歩きました。
現在(平成23年6月)の、この辺りの風景をご覧下さい。
トップの写真は、帆柱ケーブル下のバス道路(42番系統)、
上は尾倉町方面へ、下は花尾町方面です。
(バス停の名は帆柱登山口)
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↓下の写真 この階段の上は、今は市営住宅・帆柱団地ですが、
以前は、製鐵所の帆柱寮がありました。
もう記憶は薄れているが、何となく暗い感じのする建物でした。
その前(戦時中)は、捕虜の収容所だったそうです。
階段を上って、中に入ってみました。
何となく昔の面影が、・・・? やっぱり無いかな?
西鉄バス42番系統(多分、今も?)の道路を歩きました。
旧帆柱寮(帆柱団地)が、まるで、そびえ立つお城のようです。
(この画像はクリックで大きくなります。あの階段を確かめて下さい。)
真ん中に見える建物は皿倉小学校です。
以前の尾倉小、平原小、天神小の3校が統合して出来た学校で、
旧平原小学校があった場所に、新しく建て替えられています。
八幡駅方面です。(駅前の高層ビル?が、一際目立ちます。)
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大谷インターチェンジの手前です。
(この辺りが天神町かな?)
ここに、統合される前の天神小学校がありました。
今は、モダンな住宅街です。
「ガーデンヴイレッジ天神」と言う洒落た名前が付いていました。
団地内にあった学校跡の記念碑。
何故か、「天神小学校跡」ではなく「天神校跡」です。
調べたら、1993年(平成5年)4月1日に、
平原小学校、尾倉小学校、天神小学校の三校が統合して、
皿倉小学校が誕生しました。
平原小学校を取り壊して新しい校舎が建つ(平成7年4月)までは、
尾倉小を皿倉小学校尾倉校に、天神小を皿倉小学校天神校とし、
生徒を振り分けて授業を行ったらしい。
だから、
「皿倉小学校天神校跡」と書くべき処を、親心?で「天神校跡」と、
でも、それも可笑しいなあ!?
長年、「天神小学校」として親しまれてきたんだから、
「天神小学校跡」とすべきでは?(この辺が、お役所的なのかな?)
(この画像はクリックで大きくなります。)
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団地内の片隅にあった、一般住宅風のこの建物は、
市民センター(旧公民館)でした。
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製鐵所の鬼ヶ原浄水場です。(今も稼動している様でした。)
立ち入り禁止ですが、無理して撮影?(外からですが、)
中の建物は昭和初期の建設で、使われていない施設もあるようで、
近代化産業遺産の価値は充分です。
(封印された近代化産業遺産?)
この辺りにあった製鐵所の天神町社宅の跡形は全く無く、
この鬼ヶ原浄水場だけが、昔の面影を残していました
今回歩いた道は、高台で八幡の町が良く見えます。
目立って見えたのが、
高層とはいかなくとも、かなり高いビル・マンションです。
八幡の町も古い物が壊され、新しい物が次々と。
「昭和も遠くになりにけり。」
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