goo

昔、皿倉山を帆柱山と呼んでいたのは?


 昔、皿倉山のことを、帆柱山と言っていた。(呼んでいた)
何故だろう? 
この問題、以前、記事にした事があります。(コメントでも)

私の憶測は、
皿倉・権現・帆柱・花尾の四山を帆柱連山と言ってるから、
八幡の最高峰としては、帆柱の方が品だの格だの、語呂だの?
だから、・・・でしたが、どうも、根本的には違うようです。


当ブログによくコメントしてくれるcaramelpapaさんが見付けてくれました。
『北九州市まちかど探検』というHPによれば、
『皿倉山にあるケーブルカーを、何故「帆柱ケーブル」と呼ぶのか』がテーマですが、それによれば、

 大正6年八幡市となった地元自治体は、皿倉山を帆柱山と取違え、各種印刷物に記載されていた。
このため、戦後八幡市議会で不思議に感じた議員からの質問に対し、執行部は「皿倉が本当だ。しかし帆柱、権現、花尾と四山を総称して「帆柱連山]と言う。だから帆柱というのが表面に出てくる。」と、もっともらしいこじつけの答弁があった。
これ以降、間違いを正すことなく、公園整備に当っても「帆柱」の名前が使われたため、帆柱ケーブルと今もなっている。


*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*

 この市議会の記録が残っているのなら、(事実なら、)
大正6年の単なるミステーク?が原因?
その当時、どうして気が付かなかったのかなあ?
戦後じゃ、遅すぎる!!

市のこじつけの答弁も、もう市歌・校歌は広く行き渡っているし
皿倉山の麓、大字尾倉の一部を帆柱町としていた。
(今更、)仕方なかったのだろうな!?
これが真相のようです。

でもその後、帆柱公園、帆柱ケーブルと帆柱が使われたのは、
市の答弁の正当化のため??


私の小学校時代、
社会科の授業では、郷土(八幡)のことを教わった。
教材は地元の出版社の物(ワークブック?)で、八幡の地図を中心に。この地図の特徴は、埋め立てて角々となった洞海湾だった。
この時、皿倉山・権現山・帆柱山。花尾山も地図上にあったと思う? だから市の各種印刷物は、いつの間にか書き替えられていたのだろう。

 市歌は運動会の時は必ず3番まで、校歌と一緒に歌われていました。当時は市歌は市歌、校歌も同様、それで納得したような?

*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*

  旧八幡市歌の三番です。

    高き理想を 帆柱山に
   深き希望を 洞海湾に
   愛市の真心 神こそ知るらめ
   八幡 八幡 吾等の八幡市
   市の隆昌は 吾等の歓喜


*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*

 映画「この天の虹」の予告編のYouTubeを見つけました。
55年前、昭和33年の八幡の風景が出てきます。




コメント ( 20 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする