北九州八幡から発信
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隠れキリシタンの里を訪ねて、

(↑ JR長崎駅です。)
『長崎の教会郡とキリスト教関連遺産を世界遺産へ、』
と、長崎では運動が薦められています。
その一部ですが、先日、行く機会があったので見てきました。
長崎駅からシャトルバスで約45分、
西彼杵(にしそのぎ)半島の外海(そとめ)地区と云う所です。
ここには、黒崎教会や出津(しつ)文化村など隠れキリシタンの
深い信仰の歴史を物語る史跡が数多く点在しています。
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最初に訪れたのは、
↓ 枯松(かれまつ)神社、キリシタン神社です。
外海(そとめ)キリシタンの信仰の指導者であり、
日本人伝道師バスチャンの師でもある外国人宣教師サン・ジワン神父を祀った神社です。
キリシタン神社は、日本に3ヵ所しか無いとか。

慶長19年(1614年)に禁教令が出されると、
キリスト教信者への取り締まりは、いっそう厳しさを増しました。だが、外海地区の多くの信徒たちは、枯松の山頂に密かに集まってオラショ(祈り)を伝承してきたそうです。

カトリック黒崎教会、
完成したのは1920年(大正9年)で、1879年(明治12年)に出津町へ赴任してきたフランス人宣教師のド・ロ神父によるものです。

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遠藤周作文学館 平成12年(2000)5月開館。
遠藤周作氏の代表作『沈黙』の舞台は、ここ外海地区だと言われています。
小高い所にあり、眺めは抜群。ここから見る夕日は、青い海を紅色に染め、訪れた人を魅了する景色だとか。一度見たいですね。

出津町(しつちょう)の漁港かな?
向こう岸の右の方に、出津教会が見えます。

フランス人宣教師のド・ロ神父の墓がある場所です。
周りの墓は、日本人のキリスト教徒のものです。
遠くから見ると普通のお墓(墓石)と変わりませんが、
近づいて良く見ると、上に十字架が刻まれていました。

ド・ロ神父のお墓です。
ド・ロ神父とは、ウィキペディア百科事典によれば、
マルク・マリー・ド・ロ(Marc Marie de Rotz, 1840年3月27日 - 1914年11月7日)は、パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師(司祭)である。 1868年(明治元年)6月に来日し、長崎県長崎市外海地区(旧西彼杵郡外海町)において、キリスト教(カトリック)の布教活動の傍ら、貧困に苦しむ人達のため、社会福祉活動に尽力した。
と記されています。

出津教会堂と関連遺跡、
国の重要文化財に指定された旧出津救助院、ド・ロ神父記念館、外海歴史民俗資料館などがあり、「出津文化村」と呼ばれています。
この辺りまで歩いて来ると、もうヘトヘトで、横目で見ただけです。写真は、旧出津救助院と出津教会堂です。


もう、お分かりと思いますが、これはJRウォーキングです。
何で?また、長崎の果てまで?
実は、遠藤周作の大ファンで、「沈黙」の舞台を一目見たかった。 ただ、それだけのことです。
狐狸庵先生 遠藤周作、
違いの分かる男の ・・・ 何とか、かんとか。
昔、テレビのコマーシャルで流れていた。
私も違いの分かる男を目差してるんだけど~・・・?。
この日の為に、最近、「沈黙」を2回読み直しました。
小説では、トモギ村(架空の村?)が出てきます。
最初に行った「枯松神社」は、山の中にありました。
説明員のおばさんが、ここが小説の舞台・トモギ村です。
と、自信をもって話していました。
写真に、カトリック黒崎教会をアップしましたが、
この辺りは、旧黒崎村です。 枯松神社がある所もそうです。
地名表示板があったので見ると、黒崎の地名は残っていました。
(八幡の黒崎(旧黒崎村)とは、関係なさそうでけど、)
ウォーキングは約10Kmでしたが、アップダウンの多いコースで、おまけに天気が良すぎて汗ビッショリ、最後はヘトヘトでした。

ゴール(外海歴史民俗資料館)の近くに、
海を見下ろす眺めの良い場所に、遠藤周作・文学碑がありました。大きな二つの岩からなり、(↑上の写真をご覧ください。)
一つには、「沈黙の碑」と刻まれ、もう一つには、
周作先生がこの碑のために特別に著した文章が刻まれていました。
人間が
こんなに哀しいのに
主よ
海があまりに
碧いのです
遠藤周作
駅に戻って気が付いたが、今年は長崎国体なんですね。

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