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再起動は「筑前黒崎湊」から



 その昔、黒崎は、
宿場町であり、湊町でもありました。
(勿論、湊は洞海湾です。)

黒崎湊は、小倉湊とともに、九州で二箇所の大阪と九州を結ぶ
乗合貨物船の発着する湊でした。
九州西南の諸藩の参勤交代の際にも利用されています。
(参考文献より)


その湊跡に、「筑前黒崎湊跡」の石碑が建っている。
先週、見てきました。

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JR黒崎駅横の井筒屋・メイトの東側の道路を北へ、
洞海湾の方へ。



 およそ10分位、歩いた所に、
「五卿上陸地」の石碑がありました。

幕末の政変により、
攘夷派の公卿・三条実美(さんじょうさねとみ)等が、
太宰府への配流の途中、
黒崎湊に立ち寄った、上陸した場所です。




  説明看板です。↓(クリックで大きくなります。)
説明に「碑は、もと百メートルほど西にありました。」とあり、
そこが、本当?の黒崎湊跡で、その石碑もあるのだろう。

何故、この「五卿上陸地」の石碑を移動させたのか、?
ここは大通りで、目立つから???



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「筑前黒崎湊跡」の石碑の所へ、行きました。
 石碑が建った頃は、
きれいに整備されていたのだろうが、
辺りは、草はボウボウ、入り口の道は分からない? 
横は、三菱化学の敷地で、フェンスがあって立ち入り禁止、
探すのに、一苦労でした。

多分、定期的に清掃(草刈り)は、してると思うが、
時期が悪かったのかな。

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前の車の後ろ、フェンスと手摺りのガード?の間が、
石碑へ向かう歩道です。 (車が入り口を塞いでいた。)
看板・標識は無し、草が茂っていて、
これじゃあ~。 (分からないです。)


およそ30mぐらい進むと、ありました。

石畳があって、チョットした公園かな。


 石碑の横です。 ここは洞海湾の黒崎泊地の一部?


 離れたところから。
 赤の矢印が『筑前黒崎湊跡』の石碑、
青の矢印は三菱化学との境界フェンスです。


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ここは(当然)埋立地で、凸字形になっており、
北九州港・洞海地区の黒崎埠頭と呼ばれています。
(築地町(妙見)まで続いているようです。)
取扱貨物は、石炭・コークス・金属くず等、
色気は無いけど、今でも港町です。

この辺りは町工場が多く(工業団地?)、
大型ダンプが行き交い、排気ガス・粉塵・ホコリで、
天候によっては、マスクなし、普通の靴では歩けません。
(散水車も定期的に?)
こんな所を歩く物好きさんは、誰もいませんでした。

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今年の夏は、梅雨の延長? 冷夏?
それでもやっぱり、夏は夏でした。

いつの間にか、
秋風が吹いて、ブログも再起動です。
大したこともない自分勝手なブログですが、
また又、よろしくお願いします。



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