北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
さようなら! くまごろうさん(本村先生)
以前、【走れ!くまごろう】【くまごろう旅を行く】と 云う本を、紹介したとこがありましたが、その本の著者・本村義雄さんが8月に、お亡くなりになりました。
若い頃から「子供達に、口演童話を通じて夢を持ってほしい。」という思いを、八幡(北九州)を中心に、全国各地で最後まで通し続けた方でした。
「ご冥福をお祈りいたします。」
くまごろうさん(本村先生)の凄いところは、学生時代(小倉師範学校)から口演童話などの活動をやっていて、当時の八幡市教育委員会から目を付けられ、スカウトされたそうです。
そして、新卒の新任で(小学校)1年生のクラスの担任を任された。通常、1年生の担任は、ベテラン教師がやるのですがね。
小学校の教諭は2,3年で「もっと多くの子供たちに接して欲しい。」との(当時の八幡)市長の要請で、市の児童課へ。
当時、市が企画した「巡回移動式児童館こじか号」の一員となって、昭和20年代後半から30年代初めまで、八幡の各地で子供達を集めては、紙芝居・手品・口演童話・等などを、・・・。
地域社会における子供の情操教育?の一環だった、のでしょうか。
写真は当時の「こじか号」です。(『懐かしの八幡写真展』より) (写真は、クリックで大きくなります。)
遠いとおい、昔の「こじか号」の思い出です。
本村先生が話し出すと、いくら、ざわめいていても急に静かになる。手振り身振りの面白い話を聞いて、どおっと、笑いの渦が出来る。どんな内容だったかって? 全然、覚えていません。
まだテレビの無い時代で、紙芝居全盛期の頃です。
兎に角、この頃の子供たちは、よく外で遊んでいました。チャンバラごっこ、チック・スイライ?、缶けり、ランチン、パッチン、石けり、なわとび、ゴムとび、五寸釘で陣取り、・・・
そんな時代、紙芝居や「こじか号」は、本当に楽しみでした。紙芝居屋のおじさんたちも、こじか号には叶わず、合致せぬ様にしたとか。
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最近、某新聞の読者投書欄に、
「こじか号」のことを書いたのを2件見つけました。
何れも、私と同世代の方で、本村先生(くまごろうさん)が、
亡くなったのを知って、子供の頃接した「こじか号」の
楽しい思い出を、思い出したのでしょうか?。
(他の新聞にも、投稿があったかもしれない。)
私も、こじか号の本村先生のことは、
今、孫達と接する時、ふっと思い浮かびます。
以前アップした【走れ!くまごろう】八幡の古き思い出もご覧下さい。
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下の写真は、「こじか号」が活躍した時代の少し後ですが、
【S.44年 桃園アパート】と【S.35年 平野アパート】です。
先日、井筒屋であった「世界文化遺産登録記念の写真展」より拝借
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久々の投稿ですから、黒崎の新情報 です。
8月26日、黒崎駅・改札口前に、新名物が登場しました。
黒崎神社「おみくじロボット」です。
駅の裏には安川の「ロボット村」があり、その技?の、
お披露目だろうか?このロボットは、
アームが自在に動く「7軸垂直多関節ロボット」と言うそうです。
使用出来る時間は、9時30分~17時00分まで、無料です。
但し、おみくじが出ない(品切れ・不足?)時が、あります。
どんな風に、ロボットが動くのか?どんな風に、なってるのか?
一度、黒崎駅に行って試してみてください。(無料ですから。)