退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

今日は36年の経験を生かしたアメリカ便りです。ずばり偏見自己主張に溢れたアメリカ便り第1弾パート1

2013-05-03 20:18:11 | アメリカ便り
今日は、アメリカ便りを書くことにします。アメリカ便り第1弾パート1、私が住む町について。
私が30年間住んでいる町は、アメリカ中西部の都市セントルイスの郊外に位置します。1960年代までは、黒人が住むことを許さなかったと言う田舎町(英語でヒックタウンと言いますーーこのような英語日本ではおしえないでしょうね。私のブログを読んだら実用英語の勉強ができますよ_:))。そんな町に30年前 ニュージャージー出身の白人アメリカ人の夫と移り住んだのです。当時は黒人はもちろんのこと、メキシコ人もアジア人もいなかったですね。ヒックタウンンには、付き物のピックアップトラック(大抵はフォードの2,3人乗りで時々後ろの窓にショットガンが装飾品のようにかかっているのが見えた。)がこの町の公用車のように多く見られた。面白いことに、私がウオルマートやスーパーに行くと、小さい子供が私のことをじろじろと見入ってました。昔日本にやってきた外人の気持ちがわかりましたね。ま~とにかくそのぐらい田舎だったとこです。今では、中国人メキシコ人黒人も時々見かけるようになったけど、まだセントルイス郊外のほかの町ほどではないですが。ブルーカラーワーカー(低学歴の工場勤め的な人達のこと。高学歴で職場ではワイシャツ、ネクタイスーツを着なくちゃいけない人達のことをホワイトカラーわーかーと呼ぶ)が大部分を占めていた。どうしてこんな外人と言うか日本人には相応しくない場所を選んだかと言うと、偶然でそうなっちゃったのです。結婚してまもなく家探しのため車でセントルイス郊外を回っていた時、ちっちゃなちっちゃな“この人、本当に家を売りたいのかしら”と思わせるようなサインが道路わきの木にかかっていたので、家を見に行ったらすごく良く見えたのです。家が。おまけに5エーカー(6千坪)も土地があるし。家そのものは、築20年ほどのぼろ家。馬小屋みたいな家でした。少し傾いた家でした。買った後、初めて来た主人の両親に、“こんな家、早く売ったほうが良い”と言わしめたほどのぼろ家でした。その後この両親は来るたびに、この発言をしてましたね。もう30年間も、飽きもせずくるたびに。。。。
写真の鳥は、去年2,3ヶ月ほど我家のキッチン窓に訪問に来ていた、イースタンブルーバードです。

と書いた所で、もう寝る時間になったので続きはまた別の日にします。お楽しみにね。