今日は記念すべき日です。
三日坊主の私が、ブログを100回も書き続けたのです。
おまけに一部の読者からの非難を浴びながらも、毎回原稿用紙2,3枚と言う量。
36年のアメリカ生活で育まれた“グローバル”な感覚でこれからもがんばって書き続けて行きたいです。
もっと沢山の方々に読んで頂ける様に努力します。
100回を記念して親父のことをちょっと。
というのは、先日実家の近所のスーパーの前で、真昼間、久しぶりに路上酔っ払いを見たからです。
昔は、良く見かけていた酔っ払い、日本の消え行く文化のように、(場所柄のせいかどうかわかりませんが)見なくなった気がします。
この男の人、片腕を若いおまわりさんにつかまれながらも、しっかりワンカップ酒を飲み続けていました。
どうして、酔っ払いを見て私の親父を連想したかと言うと、私の親父も警察官ながら、この路上酔っ払いをしばしばやっていたからです。
戦争直後のどさくさにまぎれて警察官になった親父。
自分の結婚式で酔っ払い、新郎自らドジョウすくいを踊った親父。
警察官ながら、真夜中、仲間のパトカーでぐでんぐでんになって家に連れてこられていた親父。
風呂に行くといって、石鹸、タオルの入ったフロ桶を風呂屋に残して飲み屋に行っていた親父。
犬の散歩と称して、犬を電柱に縛りつけ飲み屋に行っていた親父。
何かあるとすぐ、“俺は医者の息子だった”といっていた親父。
警察官官舎を丸焼けにした親父。
朝、いつも仕事に行きたくないとダダとこねていた親父。
他にもいろいろあるけど、長くなりすぎるのでこの辺でやめておきます。
とにかく、我家はこの親父に振り回されていたといった感じでした。
私自身、こんな親父を持ったことを非常に恥に思い、大学卒業してしばらくするまで親父のことはあまり言わなかったし、友達が遊びに来るような時は、ひたすら親父が酔っぱらって恥をかかせないことを願っていました。
結婚式なんてこともできないだろうな、とも思いました。
花嫁の父が式場でドジョウすくいやったら笑いもんだから。
でも、年を重ね根性が座ったというか、事実は、事実、隠してもしょうがないと開き直り、大っぴらに皆に話し始めることができるようになりました。
そして、誰もが多かれ少なかれ問題を抱えて生きているということがわかってきたため。
ここで死人に敬意を表するため、親父の良いところを少し。
他人の家を訪ねるときは、お土産を必ず持っていくようにと教えてくれた親父。
大風呂敷、極楽トンボの遺伝子を私に残してくれた親父。
剣道では、秀でていた親父。
今、親父のことを考えると、あの人もかわいそうな人だったと思えるようになった。
よく言えば、家柄が良すぎて、その重圧感にいつも曝されていたのだったと思う。
悪く言えば、生まれてから死ぬまでタダのやんちゃ坊主だった。
この親父、アル中歴40年、ヘビースモカー歴35年、脳卒中、心筋梗塞、咽頭癌、大腸癌を経験してなお84才まで生きたからすごい。
遺伝子を調べたら、きっと数々の新しい抗疾病因子が見つかっていただろうに。
でも、いつでもどんな場合でも親は親なんでしょうね。
100回記念ブログ終わりです。
ハブグレのマミー
PS.グレーシー聴力がすっかりだめになりました。かわいそう。
三日坊主の私が、ブログを100回も書き続けたのです。
おまけに一部の読者からの非難を浴びながらも、毎回原稿用紙2,3枚と言う量。
36年のアメリカ生活で育まれた“グローバル”な感覚でこれからもがんばって書き続けて行きたいです。
もっと沢山の方々に読んで頂ける様に努力します。
100回を記念して親父のことをちょっと。
というのは、先日実家の近所のスーパーの前で、真昼間、久しぶりに路上酔っ払いを見たからです。
昔は、良く見かけていた酔っ払い、日本の消え行く文化のように、(場所柄のせいかどうかわかりませんが)見なくなった気がします。
この男の人、片腕を若いおまわりさんにつかまれながらも、しっかりワンカップ酒を飲み続けていました。
どうして、酔っ払いを見て私の親父を連想したかと言うと、私の親父も警察官ながら、この路上酔っ払いをしばしばやっていたからです。
戦争直後のどさくさにまぎれて警察官になった親父。
自分の結婚式で酔っ払い、新郎自らドジョウすくいを踊った親父。
警察官ながら、真夜中、仲間のパトカーでぐでんぐでんになって家に連れてこられていた親父。
風呂に行くといって、石鹸、タオルの入ったフロ桶を風呂屋に残して飲み屋に行っていた親父。
犬の散歩と称して、犬を電柱に縛りつけ飲み屋に行っていた親父。
何かあるとすぐ、“俺は医者の息子だった”といっていた親父。
警察官官舎を丸焼けにした親父。
朝、いつも仕事に行きたくないとダダとこねていた親父。
他にもいろいろあるけど、長くなりすぎるのでこの辺でやめておきます。
とにかく、我家はこの親父に振り回されていたといった感じでした。
私自身、こんな親父を持ったことを非常に恥に思い、大学卒業してしばらくするまで親父のことはあまり言わなかったし、友達が遊びに来るような時は、ひたすら親父が酔っぱらって恥をかかせないことを願っていました。
結婚式なんてこともできないだろうな、とも思いました。
花嫁の父が式場でドジョウすくいやったら笑いもんだから。
でも、年を重ね根性が座ったというか、事実は、事実、隠してもしょうがないと開き直り、大っぴらに皆に話し始めることができるようになりました。
そして、誰もが多かれ少なかれ問題を抱えて生きているということがわかってきたため。
ここで死人に敬意を表するため、親父の良いところを少し。
他人の家を訪ねるときは、お土産を必ず持っていくようにと教えてくれた親父。
大風呂敷、極楽トンボの遺伝子を私に残してくれた親父。
剣道では、秀でていた親父。
今、親父のことを考えると、あの人もかわいそうな人だったと思えるようになった。
よく言えば、家柄が良すぎて、その重圧感にいつも曝されていたのだったと思う。
悪く言えば、生まれてから死ぬまでタダのやんちゃ坊主だった。
この親父、アル中歴40年、ヘビースモカー歴35年、脳卒中、心筋梗塞、咽頭癌、大腸癌を経験してなお84才まで生きたからすごい。
遺伝子を調べたら、きっと数々の新しい抗疾病因子が見つかっていただろうに。
でも、いつでもどんな場合でも親は親なんでしょうね。
100回記念ブログ終わりです。
ハブグレのマミー
PS.グレーシー聴力がすっかりだめになりました。かわいそう。