京都タワーホテルで朝食後、二条城を見学 。
二条城は江戸時代に造営され正式名称は元離宮二条城 。
足利氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏によるものがあるが、
現存する城は徳川氏によるもの 。
二条城、御殿 。
1331年から1869年(明治2年)までの間の内裏(天皇が居住し
儀式・公務を執り行った場所の事で、現在の皇居とほぼ同義)。
現存する建物は概ね1855年(安政2年)に造営された安政度内裏 。
二条城・唐門 。
二条城の唐門は、二の丸御殿への正門で、御殿の南側に
位置しています。桃山時代末の慶長7年から8年(1602年~
1603 年)に建造され、寛永2年から3年(1625年から1626年)に
改修されで現在に至っています。牡丹に蝶、鶴に大和松と亀、
龍虎、亀乗り仙人と鳳凰、唐獅子などの極彩色彫刻が施され、
前後軒唐破風付、側面が切妻造、檜皮葺の四脚門です。
唐門に施された蝶の彩色彫刻 。
サナギが蝶へ変わり、大きく羽ばたくことから
徳川家が繁栄して行くようにと意図がこめられています。
城内は撮影禁止と言う事で見学後、京都御所へ移動 。
承明門より紫宸殿を望む 。
南庭より紫宸殿 。
紫宸殿は本来天皇の私的な在所である内裏の殿舎の
一つでしたが、平安時代中期以降、大内裏の正殿であった
大極殿が衰亡したことにより、即位の礼や大嘗祭などの
重要行事も紫宸殿で行われようになったと言う事 。
御所の内部は写真撮影禁止と言う事で見学のみ 。
その後、近鉄吉野線で吉野へ移動。
近鉄吉野駅から最終の臨時シャトルバスで
中千本バス停へ、バス停より少し徒歩で
今日の宿泊宿「太鼓判、花夢・花夢(かむ・かむ)」へ
玄関を入り、渡り廊下を歩き受付フロントへ 。
17時、チックイン後、温泉浴場へ。熱くも、ゆるくもなく、
心地良い泉質でした 。
入浴後の食事、食事の途中で思い出し撮影。
胡麻豆腐、刺身、鮎の塩焼き、鴨鍋など、
どれも美味しく頂きました 。
夕食後は疲れが出たのか、直ぐに睡眠、爆睡 。
30日、朝食後、宿の車で遊歩道入り口まで送ってもらい
吉野・奥之院を周遊 。
源 義経、隠塔 。
文治元年(1185)11月、源義経は兄(異母兄弟)の
源頼朝から逃れるためにこの塔へ隠れ、追っ手から逃れるために
屋根を蹴破って外へ出たため「義経の隠れ塔、蹴抜け塔」とも
言われています。
西行庵へ行く吉野古道 。
西行庵 。
西行(さいぎょう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期に
かけての武士であり、僧侶、歌人。
俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)憲清、則清、範清とも
記され、西行は号であり僧名は円位後に
大本房、大宝房、大法房と称されています。
昨年の今頃は桜が満開だったと言う事で、昨年に合わせて
宿を予約したのですが、今年は下千本が5分咲き、
中千本・三分咲き、上千本・二分咲きと、今年は寒波の大雪で
開花が遅く見応えが無く、良い画像が撮れず残念 。
竹林院のしだれ桜 。
竹林院はもと椿山寺と称し、聖徳太子建立の一寺と
伝えられています。 古来より山伏修験者の宿坊として利用され、
太閣秀吉の遺品も多く、明治以降は与謝野晶子をはじめ多くの
文人、墨客、一般旅行者の宿として今日に至っているという
歴史深い宿と言われています。
東南院としだれ桜 。
東南院は、奈良県吉野郡吉野町にある
金峯山修験本宗の別格本山の寺院。
周遊し、お腹がすいたので昼食。
吉野名物、柿の葉寿司、胡麻豆腐、葛餅、落雁 と
どれも美味しかった店舗「醍予」
その後、吉野ロープウェイで下り、周遊バスに乗り換え
宿泊宿「太鼓判・花夢・花夢(かむかむ)」へ 。
その後、温泉入浴後、今日も良く歩いた為、
夕食後は睡眠・爆睡 。
参考までに2泊した宿のホームページ、URLを下記します。
太鼓判・花夢花夢
http://www.taikoban-yoshino.com/