「漢委奴国王」 金印を語ると言う、シンポジュウムが行なわれたと、メデイアが伝えていたね!
下の画像は随分、昔、父さんが福岡市博物館を訪れた時に購入した
「漢委奴国王」のキ-ホルダー!
江戸時代、「漢委奴国王」 金印が志賀島の畑から発見されたと
子供の頃に知った時、なぜ古墳や神社・建物跡などから発見されず、
何もない畑の中から発見されたのだろうと、漠然と疑問を持っていたけど、
歴史書を読むうち、偽物ではと疑惑がさらに募って来たんだって!
下の文庫本、明石 散人 氏の「七つの金印」では、日本での七つの金印について、
一つ一つ、分かるように綴った小説なんだって!
純度は95%もあり、当時の日本では鋳造は出来ず、漢から授けられた金印で、
本物であると言う主調!と、 一方、金印の文字は漢の文字と彫り方が異なり、
江戸時代に純度の高い砂金で創られた偽物ではないかと言う主調!
他に賛否両論色々あり! シンポジュウムも賛否!白熱しただろうね!
下は第一次、古代史ブームを巻き起こした、宮崎 康平 氏の 「まぼろしの邪馬台国 」
不定期で、ほぼ五月頃、宇佐八幡宮にて、「 全日本邪馬台国論争大会 」 が開催され、
父さんも聞きに言った事があるけど、諸事!色々あり、
邪馬台国が九州説!近畿説!と、互いに譲らず白熱してたんだって!
諸事色々あるだろうけど、なぜ地方の宇佐八幡宮に10年に1度、
天皇の勅使がくるのかなぁ~? 宇佐八幡宮の亀山が卑弥呼の墓で
卑弥呼=天照大神?で 大和へ遷都? 移転した後も墓参りのような容で
勅使として来るのではないかと、父さんは思うんだって!
上の地図は安本 美典 氏の「高天原の謎」の書物の中で
旧、福岡県夜須郡野洲町の地名・方位が奈良県大和郡の地名・方位が重なり、
後に、奥野 正男 氏の書物で 「邪馬台国の東遷」 に五万分の一地図に
80ヶ所以上もの地名が一致し、大和地方へ東遷して
同じ地名を付けたのではないかと、言う事、
大和政権は権威の関係で同じ地名を地方には付けさせないよね!
これだけでも説得力があるよね!
近年でも廃藩置県で津軽、北海道へ移住した会津・伊達藩など、
昔の藩に愛着を懐かしみ、今でも同じ地名があるよね!
御上の意見・歴史に盾突くなと言う、近畿説は国の学者・研究者が多いよね!
少し逸れるけど上の書物は 松本 清張 氏 の 「火の路」
奈良県明日香村の遺跡・旧跡を巡る考古学者の小説で
飛鳥時代ペルシャ文明が数多く入り、その風習、遺跡、遺物が多く残っており,
その一つ一つを解明していく歴史ミステリーで これも興味深い小説だって!
はっきりしない歴史・遺物・遺跡! ロマンがあって面白いねだって!