MTBは嫌いじゃない。でも坂道は嫌い。この内容を大昔にもブログに書いた記憶があります。
そして私の住まい周辺までそれなりのしんどさでたどり着いたときには「こんな距離でもこの年齢でも行けるのね」なんて「淡路一周の奇蹟」も忘れて自分をまたほめてあげたい気分でした。
地図上には「フリーラン」と記入された区間があり、「何するのかな」と想像するも「楽しいこと」ではないことだけはわかっていました。結局その区間は「峠越え」の区間でした。
その区間を
「自分のペースで自分のチャレンジをする」
というものでした。そう遅いペースの女子を付き添ってここまで20kmフォローしてきたものもいるわけです。確かに自分のチャレンジという時間ではなかった。少なからず全員を気遣ってトンネルの手前で待ってみたり、ライトの点灯を確認し合ったり、中途半端な気遣いがありましたから、このフリーランは自分のことだけを考えられる唯一の部分だったのかもしれません。
言い訳できないというのが、その理由です。
MTBの一番軽い状態でも前に進まない角度の峠を自分はどう登る?そんな課題です。
私は自分にわかりやすく、結果もわかりやすい「足をつかずに頂上まで」という目標を立てました。
その課題を思い切るまで目を閉じていたため、他の人たちはスタートしていて私は最後のスタートになっていました。
競争ではないのになぜか最後は嫌っと考えてしまうのは人間の性でしょうか?
私の私による私のためのチャレンジが始まったのです。
そして私の住まい周辺までそれなりのしんどさでたどり着いたときには「こんな距離でもこの年齢でも行けるのね」なんて「淡路一周の奇蹟」も忘れて自分をまたほめてあげたい気分でした。
地図上には「フリーラン」と記入された区間があり、「何するのかな」と想像するも「楽しいこと」ではないことだけはわかっていました。結局その区間は「峠越え」の区間でした。
その区間を
「自分のペースで自分のチャレンジをする」
というものでした。そう遅いペースの女子を付き添ってここまで20kmフォローしてきたものもいるわけです。確かに自分のチャレンジという時間ではなかった。少なからず全員を気遣ってトンネルの手前で待ってみたり、ライトの点灯を確認し合ったり、中途半端な気遣いがありましたから、このフリーランは自分のことだけを考えられる唯一の部分だったのかもしれません。
言い訳できないというのが、その理由です。
MTBの一番軽い状態でも前に進まない角度の峠を自分はどう登る?そんな課題です。
私は自分にわかりやすく、結果もわかりやすい「足をつかずに頂上まで」という目標を立てました。
その課題を思い切るまで目を閉じていたため、他の人たちはスタートしていて私は最後のスタートになっていました。
競争ではないのになぜか最後は嫌っと考えてしまうのは人間の性でしょうか?
私の私による私のためのチャレンジが始まったのです。