ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

愚痴です。気分を害する恐れあり

2009-11-21 | 雑念
車検。
面倒臭い。
安全の為に定期的に点検をする事を強制するのは、ある程度必要かなとも思う。しかし、場所によって車検の見積額が異なる。つまり儲けの部分がある事が疑問視に繋がる。しかも税金もついでに取られている。訳がわからない。

そんなことより、11/20から公開の「イングロリアス=バスターズ」を観に行きたいのに、あまりの距離と体力に相談しないといけない。それがたまらなく悲しいのである。

しかも日照時間の短さから、一日がとても少なく感じてしまい、わざわざ昼過ぎから都会に出ていくという気持ちがなくなるのである。

近々、ゼロ度に差し掛かる気温になりつつあり、スタッドレスタイヤに買える必要が出てきたりする。

という愚痴をダラダラブログに綴ってみる。誰も喜ばないであろうこの内容は悲しく埋もれて行くのであろう。

あー。ディジュリドゥでも吹いて瞑想でもするかな。

だっす

2009-11-18 | 雑念
アフラックのCM

宮崎あおいとあひると猫が出てくるあのCM

猫とあひるが力を合わせて、~の幸せを~、招きネコだっく

という歌詞。有名!あまりに有名!
それを我妻がご機嫌に歌っている。そして最後の「招きネコだっく」という部分にさしかかったときに歌ったのがこれ。

猫とあひるが力を合わせて、~の幸せを~、招きネコだっす

えっ?!今なんてった?!
だっす?

ボケてはるのかなぁ~と、チラッと顔を見ても真面目にご機嫌だ。

「えーっ!?マジですか???」

だっすって。

招きネコだっす!

口に出して歌ってみてください。
ツボです。思い出し笑いをしてしまいます。

あの宮崎あおいからの「だっす」への落差が溜まらなくツボ。

いやぁ~、楽しいものだっす。

ほぼ日手帳

2009-11-17 | 雑念
私は「ほぼ日手帳」を利用しています。

その手帳には毎日の記入欄の下に小さなコラム的な場所があって、いつも感心させられる良い言葉の数々が載っています。

今日の所にこんなことが書いてあって、考えさせられました。

「ことばの枝や葉ではなく、幹が沈黙である」

とても印象的で端的に脳裏に刻み込まれています。私もグループへのファシリテーターとして指導をしてきた人間として、沈黙がいかに大切な指導法であるかを実感してきたものであります。

しかし植物の幹にあたる部分、つまり本質が「沈黙」であるとまで達していなかったのです。しかしその言葉が染み込んできたのは、「沈黙」の持つ意味がとても重要であることの証でしょう。

沈黙という指導を意識している指導者は少ないと思います。そしてそれは経験値がそれを意識させていくとは思えません。それが証拠に毎日指導しているベテラン教師がケンケン口うるさく小言を言っているのをよく見るからです。

恐らく「沈黙という指導」は意識して行なう高度な指導手段なのだと思います。しかもそれが対象者のプレッシャーになってはいけない。

本当に深い信頼関係がそこにはあるのです。

寅さん

2009-11-15 | 雑念

昨夜は食事会。
一族が揃った。両親の兄弟夫婦が大集合な訳。私と奥さんが主役。超豪華、ちょうざめの刺身、スッポン鍋、但馬牛石焼、刺身の船盛、などなどが目の前に並ぶ。

当然お酒が出され酒盛りとなる。みんなご機嫌なお酒の席となった。確かに葬式などでしか顔を合わせることのなくなった親戚陣がフランクな服装で和気あいあいとバカ話をした記憶はほとんどない。

中でもご機嫌だった伯父さんは
「お父さんは口に出せないこと」と前置きして人生観を語り出し、酔っ払いの特徴である同じ内容を繰り返すという語り口。ただうんざりしそうな内容もキャラでしょうか?憎めない「フーテンの寅さん」のよう。

予想もしなかった?楽しい会になった。大人になって関係性や大人の事情も理解できるようになり、しがらみを嫌う私としても「結婚」というもので必要になった人間付き合いが少しは我慢できるようになってきたのかもしれない。

その独特な「フーテンの寅さん」伯父さんに「世の中がひっくり返ってめちゃくちゃになっても生きていける強さがある」と2回断言されたことは、嬉しかった。「自分の世界がある」と付け足した伯父さんに心の中で「貴方の方が自分の世界を持ってますよ」とつぶやきながらうなづいた。

そんな親戚の食事会。寅さんに救われ、話題を振る役もせず、じっと話を聴くという役で美味しいご飯を食べることができた一時でした。

みなさん遠くまで来てくれて愉快な雰囲気、ありがとうございました。




美味しさ

2009-11-14 | 雑念
昨日は鍋をしましたよ。
鍋は本当に素晴らしい料理だと思う。寒さを吹き飛ばすという物理的な良さは当然。人の会話をポコポコ噴き出してくれる。何故か楽しい気分になるのだ。多分相撲部屋もさぞかし楽しい気分なんだろう。とにかく顔をつきあわすことが少なくなった大人も無理から近づいて食べる。そら無理から話をし始めるよね。でもいつのまにやら、楽しく話ができるようになってる。

みなさん、美味しい物ばかり追い求めて「食事の楽しさ」の意味を考えることを忘れてやしませんか?

100g5000円の高級肉を1人で食べるより、100g200円のスーパーの肉でもみんなで食べる方が楽しいんです。美味しいんです。