新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

藤揺れて

2020年04月14日 14時42分19秒 | 写真と俳句

    藤揺れて諍ひごとの消へにけり   ひよどり 一平

   (ふじゆれていさかいごとのきえにけり)

    ・・・・・・・

 藤の花が好きだ。特に高い樹木に下がっている山藤は、震えるほど好きだ。

 叔父の葬儀の折、JR常磐線の車窓で見た山藤は見事だった。是非とも撮りたいと思っているが、未だに実現できずにいる。

 高速道の自動車運転を控えているため、なかなか実現が難しい。

 写真は私の散歩コースにある複雑な枝ぶりの面白い藤の花だ。

    ・・・・・・・

 新型コレラはどんどん勢いを増しており、地方へも拡がっている。

 今までは観光誘致やふるさと納税に一生懸命であった地方の行政機関が、「わが街はベッド数がたりないので、里帰りは止めてくれ」と言ったりしている。

 何という変わりよう!

 背に腹は変へられないか。 

 

 

 

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怠惰な日

2020年04月13日 15時01分10秒 | 写真と俳句

    杉菜生ふ遠慮会釈は埒のほか   ひよどり 一平

  (すぎなはうえんりょえしゃくはらちのほか)

   ・・・・・・・

 ♪ 土筆誰の子杉菜の子 ♪ という童謡があったように思う。

 不勉強で申し訳ないが、そのほかの詩は知らない。

 歳時記によれば、杉菜はトクサ科トクサ属でシダの仲間とか。

 杉菜は土筆が姿を消す頃、同じ地下茎から生えてくるとのこと。土筆は胞子茎、杉菜は栄養茎と呼ばれるが、養分が豊かだと杉菜ばかりが茂り、養分が乏しいと土筆が沢山生えるのだそうだ。(角川俳句大歳時記による)

 とすれば、「土筆が杉菜の子である」という童謡は、どうなのであろうか。私の記憶が違っているのかもしれない。

   ・・・・・・・

 今日は朝から雨模様。風も少し出てきたようだ。数千歩ほどは歩きたいと思っていたのだが、すっかり出足を挫かれた。

 怠惰な一日にしようと思う。

 

 

 

 

 

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国民は従う!

2020年04月12日 11時33分46秒 | 写真と俳句

   牡丹の極まる色を待ちきれず   ひよどり 一平

  (ぼうたんのきわまるいろをまちきれず)

   ・・・・・・・

 私が好む牡丹園は、広い公園の片隅にあって、十数株もあろうか。

 以前はもう少し広かったのだが、移転と同時に株数が減らされてしまった。

 特別に好きと言うほどの花ではないが、写真や俳句を好む者として、それなりの敬意と関心を持っている花であることは間違いない。

 しかし、さほど勤勉でない性癖が災いして、今まで、花の盛りを撮ったことは稀なのだ。桜の花を追いかけ過ぎることも一因かもしれない。

 ところが今年は、新型コロナウイルス騒ぎや自分の健康問題もあって、桜を追いかけることもおろそかになっていた。

 そんな折、偶然に牡丹の開花にぶち当たった。この一株だけが花を咲かせていた。 

   ・・・・・・・

 コロナ騒ぎが治まる雰囲気はない。

 やはり、日本人は、武漢発の新型コロナウイルスを甘く見ていたらしい。

 その上、政治の不決断があった。マスクの供給、製造を一つとってみても、中国に強く依存していた日本は、今になって、いくら総理大臣が力んで見せても、マスクが店頭に並ぶ気配はない。

 日本は新型コレラウイルスとの戦争において、極めて劣勢に立たされている。初戦から劣勢だ。しかも政治家が今もって弱腰過ぎる。

 これは戦争なのだ。負けるわけには行かない。政治家の強い決断を期待したい。

 政治決断が示されれば、国民はついて行く。

 

 

 

 

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どんな事情か

2020年04月11日 19時34分23秒 | 写真と俳句

    近在で死ぬる覚悟や残る鴨   ひよどり 一平

   (きんざいでしぬるかくごやのこるかも)

    ・・・・・・・

 前にも書いたことだがこの池の数百羽ほどの鴨は、ほとんどが北方の繁殖地へ戻って行った。

 あれほど騒がしかった池が、今はひっそりと静けさを取り戻している。

 そんな中で、この鴨のように、仲間たちと一緒に戻らなかった鴨たちがいる。

 数羽のグルーから一羽の鴨まで、それぞれがひっそりとしている。

 この二羽の鴨は、どんな事情で残っているのだろうか。親子なのか、兄弟なのか、番なのか、事情に疎い私の知る由もない。が、絶えず離れず、他の鴨たちとは交わらず、始終この二羽で動いていた。

 どちらかの鴨が病を得ていて、他の一羽が労わって残ったのかも知れない。

 身体の大きさから、親子とも思えるのだが・・・。

 とてもとても、鴨料理は想像できない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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私の柔道

2020年04月10日 18時40分32秒 | 写真と俳句

    女らの囃す声ごゑ黄水仙   ひよどり 一平

   (おんなのはやす声ごゑきすいせん)

     ・・・・・・・

 男だからという理由だけで、私は中学生時代から柔道を始めた。

 友人と一緒に自転車に乗って、隣町の柔道場へ通った。

 ひ弱な友人は、丈夫な身体を作りたいという彼の母親の強い気持ちがあったが、私は、「お前は男なんだから・・・」という父親の言葉に従ったのだ。

 高校生になったとたん、友人は柔道をやめた。しかし私は柔道部に入り、それなりに努力した。しかし、正選手にはなれなかった。誰かが休んだような折、「おい、お前」と言われて対外試合に出る程度の実力だった。

 稽古の前、校外のランニングがあった。汗臭い柔道着を着た10人余りの高校生が、声を上げながら走った。女子高校の前では、一段と大声になった。

 女子高生たちは、ほとんど見てくれなかった。それでも時折は、2階、3階あたりの教室の窓から、「頑張って~」という幾人かの嬌声が上がった。私たちはそれだけで満足だった。純情な高校生だった。

 大学に入っても、柔道は止めなかった。惰性のようなものだった。

 今になって、柔道をやっていてよかったと思っている。特段の理由はない。

  

 

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