節電

2013-03-12 05:14:01 | Daily Life
あの日おいらは、今は閉鎖されてしまった旧工場で『カッター』と呼ばれる機械を洗っていた。

突然『目まい』に襲われ…と思ったら、地震だった。
突き上げるような『P波』は無く、船の上にいるような『S波』のみ。
水を張った『カッター』からタプタプと水が飛び散り、床が水浸しになっていく。

新潟市内で震度 4 …かなり大きい。
瞬間的に他所の地域なんて分からないから、自分のところだけで精いっぱい。
それが『震災』が発生した瞬間の出来事。

新潟市内においては、震災直後に起きた長野北部の別の地震の被害もなく…少なくともおいらの周りは無事。
だが…そのあとが大変だったのを覚えている。

被災地の状況が次第に明らかになっていく過程で、それがどれほど深刻な状況かが周囲の地域に明かされていく。
地震、津波、火災、原発…。

被災した地域の状況は報道が伝える通りだった。
だが、その水面下で被災していない地域の普段の生活があった。
被災地での工業・流通は当然ストップ…それは、普段通り生活している地域は被災した地域から仕入れていた製品が届かないことを意味していた。
都合、被災していない地域から代替の商品を手配し始める。

食品メーカーであるウチの会社には、生産能力を超える膨大な注文が殺到した。
混乱が混乱を呼び…いま本当に食べ物を必要としている人たちではなく、普通の生活を継続するスーパーの商品棚を埋めるための商品作りに追い回されるのが歯がゆかった。
被災地が大変なのは恐れ多くもおいらが喋る内容ではない…だけどさ…もっと譲り合うとか、できないものか…。
被災していない地域が『我先に』と商品手配に走らなければ、ウチの商品だって、もっと被災地に供給できるだろうに。

ウチに太陽光発電を設置しようと思ったのは、譲り合う気持ちが必要と思ったから…という部分もある。



震災後、計画停電の混乱の中で考えた。
街灯やネオンが消され節電モード一色の状況で…電気を融通しあったハズ。
結局、東北電力管内では計画停電は実施されなかったワケだが、2011/12/1 にネオンは一斉に復活した。
全ての電力を予定通りに供給できる目処が立ったから…なんだろうけれど、その結果は電力需要増大の果ての値上げだ。

火力発電に頼る割合が多くなっているわけだから、燃料費が高く付くのも分かる…が、節電の気持ちがどこかに飛んで行っていないか?

あの『商品争奪』を経験して…節電を思う。

あれから 2 年。
黙祷。

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