檀家

2013-03-29 05:09:51 | Daily Life
ウチの実家は『本家』ではない。
両親とも新潟の出身ではあるが、お袋の方の家は富山が本家だし、そもそも親父は四男でお袋が次女。

結果的に新潟に戻ってきた両親と、なんだかんだ言って新潟との縁が切れなかった長男のおいら。
実家自体が分家であるから、切る気になれば切れたんだけどさ、新潟に家を建ててしまえば切れるわけもない。
もっと言ってしまえば、新潟との縁を飲み込んでの新居なんだけどね。

で、住み着くこととイコールで発生する親類との付き合い…その最大の相手が、実は両親。

だいぶ高齢になってきたウチの両親、ここ最近『お墓』の話を頻繁にするようになったのね。
彼岸や盆には墓参りに行くのだが、それはそれぞれの実家の墓で、おいらにとっての祖父母の墓…分家である両親が入る場所ではない。

自分たちの納まる場所の話…『縁起でもない』と避けて通れない話、人は必ず最期があるわけで。

春のお彼岸の時の話だ。
母方の実家のお墓があるお寺で墓地の区画があると知る。
浄土真宗のお寺で、本家の法事なんかでお世話になっている馴染みのあるお寺だ。

物事が動く時と言うのは一気に動くもので、言ってはみたものの今まで『踏ん切り』がつかなかった両親が動き始める。

墓地の区画を求めるには、お寺の檀家になった上で墓地の永代供養料を払う必要がある。
『自分らがその場所に納まるまでは金銭的に負担は掛けないようにする…が、その後の墓守はしてもらえるか?』
両親の確認事項はその一点。



必然的に、おいらも檀家になるわけで。

宗教的なことがらは今まで全く無頓着だったが、やがて訪れるであろう『死』と向き合う場面で意識する暮らしの中の宗教。
郊外の商業的『パーク霊園』よりは、おいらが生まれる前から親者の付き合いがあるお寺の方が安心だわさ。
そう思ってしまうあたりに、おいらの『歳』を感じる。

いいよ。
そこに住む以上、おいらの責任だろ。
『好きにしたら?』…なんて言えないさ。

持ち合わせていないようで隠し持っているおいら自身の宗教観に驚くワケで…。

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