カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

母の3回忌に思う事

2020-04-26 12:34:00 | 日記
98歳で母が死んで2年経った。日本では3回忌を行いそれを最後に法事は行わないと姉の話。カナダにいる私は日本の家の事は全て姉兄に任せ、おおせのとおりに協力する。皆 80近い年でよく頑張ってくれている。姉兄のお誕生日には 楽天市場で日本製にこだわりプレゼントを送るととても喜んでくれる。この楽しみはあと何年続けられるかなぁ。

家にある母の写真とおりんを置いてある棚に 母が亡くなった頃にこぼれた種から偶然庭で咲いたパンジーを飾った。
そして甘いコーヒーと黒砂糖をおそなえした。なくなる数ヶ月前中心静脈栄養で食どめになってた時、舌の乾燥予防にゼリーを塗ったら、口を鳴らして 黒砂糖の味がする と微笑んだのを思い出す。 母の甘いコーヒーは家族内では有名で皆飲んだことがある。小さな子にも小さなカップで作ってあげてた。

去年は母を思い出すと まだ悲しさがあったが 今年はそうでもない。思い出すことも少なくなった。
姉にそれを話すと 母さん 成仏したんだよって。

今思えば 母が認知症になる前にお葬式についてどうしたいか聞いたことがあった。
それが軸となって段取りがスムーズに進んだ。ポックリ死ぬよ って母が言ってたけどそうならなかったね。
2年間の過ごした老人施設から高熱があると受診先の病院で4ヶ月肺炎で入院。その後 転院した老人病院で5ヶ月過ごした。

最初の病院で入れた中心静脈栄養を止めれば痰もなくなるし、1週間で枯れる様に自然になくなるよと言っていた老人病院の若い医師の話が今でも思い出される。その病院では毎月 100万円医療費がかかっていて 母の自己負担は7万程度だった。
入院中の母はぼんやりしていることがほとんどで、自分が何者なのかもわからないようだった。そんな時になぜここにいるのかを説明したら ふと正気に戻ったような表情で、寝たっきりなら死んだほうがマシだ、とそっぽ向いてしまったのを思い出す。
認知症になる前に、病院に入院し延命治療が長引いたらどうするかって話はしてなかったなぁ。胃瘻や気管切開、中心静脈栄養を入れてでも死にたくない って母は言うだろうか?

カナダで去年、93歳のおばあちゃんの双子の妹が亡くなった。もともと脳梗塞があり認知症が始まり、何度か転倒し入退院して最後は介助しても口から食事しなくなり 亡くなった。

おばあちゃんは常々 妹は クォリティ オブ ライフ がないので 早く天国に召される事を願ってると話してた。わたしの母の入院状況を話すと let  her  go と言ってたなぁ。

文化も習慣も違う国なので どちらが正しいとかは言えないと思うけど、大変悩ましい事であった。
しかしおかげさまで日本の家族は日頃仲良く 特に母のそばには献身的な元看護師の姪っ子がいてくれた。
母の状況連絡が家族に行き渡りみんな安心してられたことには感謝している。
カナダにいても もうひとりの姪が御葬式の実況中継を細かく動画や写真で知らせてくれて、その場に参加できた気分になれた。




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