今週は、この2冊。
海の見える理髪店/死んだライオン/
■海の見える理髪店 2016.7.23
荻原浩さんの『海の見える理髪店』、このすてきなタイトルに魅せられ、ぼくは手にしたのですが..........
朝日新聞 2016.7.20
ひと
「海の見える理髪店」で直木賞に決まった
荻原浩さん(60)
若年認知症を描いた「明日の記憶」や、朝日新聞に連載された「愛しの座敷わらし」。
家族の再生の物語に定評があり、直木賞候補になるのは5回目。
「(候補になるだけで)この世界での寿命が延びました」と笑う。
夢は漫画家だった。
成城大で「イラストが描ける」と広告研究会に入ったが、任されたのはコピーだった。
「卒業前に漫画を賞に応募したけど、駄目。
尻尾を巻いて、広告会社に就職しました」
コピーライターになったものの、創作とはかけ離れていた。
助詞1字を練る会議を繰り返しても、依頼先の「良くない」の一言ですべて没になった。
「言葉に絶対はない。
何を書こうが文句は出る。」
それなら思うままに書きたいと、41歳で作家デビューした。
小説は自分を貫く「聖域」と思ってきた。
編集者の助言は「いいですね」と言いつつ、笑顔で聞き流していた。
「好き勝手やることが、小説を書く動機でした」
でも、家族と時をテーマにした受賞作では、その思いを取っ払った。
2年前に逝った父は節約家だと思い込んでいたのに、時計はブランド物だった。
義母の仏間には、出征した義父からの手紙があった。
「自分の頭にある物語より、すごいことがそこら中に落ちていた。
つらいことの方が多いが、おもしろがってもらえるものが書ければ幸せです」
ところで、あなたは床屋さんに行ったとき、話しかけられるのが好きですか。
床屋さんて、やたら話し好きの方が多い、というのが、ぼくの印象です。
ぼくは、これが嫌でいつも寝たふりをするのですが、店主も然る者、お節介にも、時々頭を突っついて押すんですよね、余計なお世話です。
髭剃り前の蒸しタオルだけは、本当に気持ちが良く、これにはつい、本当にうとうとっとしてしまいます。
話は変わりますが、幼かった頃の床屋さんを思い出すと、いつも剃刀を研いでいた姿が印象にあります。
思い出す姿はそればかりですが、最近は、剃刀を研いでいる床屋さんを全然見かけません。
幅の広い豚革のベルトで刃を数回パタパタパタとさせて、それから剃刀をあてた気がするのですが、これもなくなりました。
どんな道でも、成功される方というのは、人の気持ちを読む術に長けていらっしゃるんです。人情家というわけではなく、人の頭の中身を透かし見る能力とでもいいますか、人たらしと申しましょうか。言い方は悪うございますが、みなさん、いい詐欺師になれる素質がある。
人間、ひとつの仕事を長くやっているうちに、特に単純作業が多うございますと空いた頭をこねくりまわして、経営やら人生やらの哲学めいたものが芽生えてくるもので。
父ちゃんは、母ちゃんと離婚したあと、酔っぱらいがひどくなって、アパートの階段から落ちて死んだ。
「時計の針を巻き戻したいって思うことは、誰にでもあるでしょう」
「あなたにだって、あるんじゃないですか」
「いえ、ありません」
夫婦仲が悪いとは思わないが、私たちの会話は少ない。よけいなことを喋りすぎると、思わぬ時に、過去のなにがしかの記憶の蓋が開いてしまう。それが怖いのだ。
次に会えるまでの長い時を数えて過ごす日々は短い。
『 海の見える理髪店/荻原浩/集英社 』
■死んだライオン 2016.7.23
「訳者あとがき」を先に読むのは、ミステリー読みには邪道。
かも知れませんが、読了後、後書きを読んでみたら、こちらを先に読んだ後、本分に取りかかった方が分かりやすかった、と感じました。
簡潔で分かりやすい「訳者あとがき」でした。
p513の大部なスパイ小説で、なかなか先が見えてこない。
しかもぼくには文章が頭にすっきりと入ってこない、寝転んで読んでいると、時々取り落としてしまう。
「英国推理作家協会賞受賞作」だから、これからおもしろくなるなる、とがんばってみる、すると後半部分からの展開は手が離せない。
「ああ」
「まるで "死んだライオン" ね」
「なんのことだ」
「子供の遊びよ。寝転がって、じっと動かないで、死んだふりをするの」
「最後はどうなるんだ」
「しっちゃかめっちゃかよ」
先週読んだ、『ザ・カルテル』と比べると地味な物語の展開です。
英国の読書人は、ありそうな地味な筋運びと次ような言葉のやりとりに、案外ミステリーのおもしろみさや深みをみているのかも知れない、とぼくは感じました。
ひとは年をとると、変化についていけなくなるだけでなく、いろいろなことが知らないうちに変わってしまうことを学ぶようにもなる。
最近はこんなふうに小さなことがひとつひとつ積み重なって一日がゆっくりと動きだす。若いころはベルの音のようにすべてが一気に始まったものだが。
「暗号課の職員を馬鹿にしちゃいかんな。どこの行政官庁でもそうだが、実際の仕事は全部下っ端の人間がする。上の連中のするのは会議だけだ。
仕方がない。とりあえずやらせてみよう。失敗したら、ウェブを流木に縛りつけて、海に投げ捨て、カモメの餌にすればいい。そのときにかける言葉は、"自分の力を買いかぶりすぎたようね"だ。マスコミに注目されたのが間違いの元だったのだ。
禿げ頭の男は大勢いて、昨今の男にとって、禿頭は悲劇というよりファッションではないかと思えるくらいだった。
『 死んだライオン/ミック・ヘロン/田村義進訳/ハヤカワ文庫NV 』
海の見える理髪店/死んだライオン/
■海の見える理髪店 2016.7.23
荻原浩さんの『海の見える理髪店』、このすてきなタイトルに魅せられ、ぼくは手にしたのですが..........
朝日新聞 2016.7.20
ひと
「海の見える理髪店」で直木賞に決まった
荻原浩さん(60)
若年認知症を描いた「明日の記憶」や、朝日新聞に連載された「愛しの座敷わらし」。
家族の再生の物語に定評があり、直木賞候補になるのは5回目。
「(候補になるだけで)この世界での寿命が延びました」と笑う。
夢は漫画家だった。
成城大で「イラストが描ける」と広告研究会に入ったが、任されたのはコピーだった。
「卒業前に漫画を賞に応募したけど、駄目。
尻尾を巻いて、広告会社に就職しました」
コピーライターになったものの、創作とはかけ離れていた。
助詞1字を練る会議を繰り返しても、依頼先の「良くない」の一言ですべて没になった。
「言葉に絶対はない。
何を書こうが文句は出る。」
それなら思うままに書きたいと、41歳で作家デビューした。
小説は自分を貫く「聖域」と思ってきた。
編集者の助言は「いいですね」と言いつつ、笑顔で聞き流していた。
「好き勝手やることが、小説を書く動機でした」
でも、家族と時をテーマにした受賞作では、その思いを取っ払った。
2年前に逝った父は節約家だと思い込んでいたのに、時計はブランド物だった。
義母の仏間には、出征した義父からの手紙があった。
「自分の頭にある物語より、すごいことがそこら中に落ちていた。
つらいことの方が多いが、おもしろがってもらえるものが書ければ幸せです」
ところで、あなたは床屋さんに行ったとき、話しかけられるのが好きですか。
床屋さんて、やたら話し好きの方が多い、というのが、ぼくの印象です。
ぼくは、これが嫌でいつも寝たふりをするのですが、店主も然る者、お節介にも、時々頭を突っついて押すんですよね、余計なお世話です。
髭剃り前の蒸しタオルだけは、本当に気持ちが良く、これにはつい、本当にうとうとっとしてしまいます。
話は変わりますが、幼かった頃の床屋さんを思い出すと、いつも剃刀を研いでいた姿が印象にあります。
思い出す姿はそればかりですが、最近は、剃刀を研いでいる床屋さんを全然見かけません。
幅の広い豚革のベルトで刃を数回パタパタパタとさせて、それから剃刀をあてた気がするのですが、これもなくなりました。
どんな道でも、成功される方というのは、人の気持ちを読む術に長けていらっしゃるんです。人情家というわけではなく、人の頭の中身を透かし見る能力とでもいいますか、人たらしと申しましょうか。言い方は悪うございますが、みなさん、いい詐欺師になれる素質がある。
人間、ひとつの仕事を長くやっているうちに、特に単純作業が多うございますと空いた頭をこねくりまわして、経営やら人生やらの哲学めいたものが芽生えてくるもので。
父ちゃんは、母ちゃんと離婚したあと、酔っぱらいがひどくなって、アパートの階段から落ちて死んだ。
「時計の針を巻き戻したいって思うことは、誰にでもあるでしょう」
「あなたにだって、あるんじゃないですか」
「いえ、ありません」
夫婦仲が悪いとは思わないが、私たちの会話は少ない。よけいなことを喋りすぎると、思わぬ時に、過去のなにがしかの記憶の蓋が開いてしまう。それが怖いのだ。
次に会えるまでの長い時を数えて過ごす日々は短い。
『 海の見える理髪店/荻原浩/集英社 』
■死んだライオン 2016.7.23
「訳者あとがき」を先に読むのは、ミステリー読みには邪道。
かも知れませんが、読了後、後書きを読んでみたら、こちらを先に読んだ後、本分に取りかかった方が分かりやすかった、と感じました。
簡潔で分かりやすい「訳者あとがき」でした。
p513の大部なスパイ小説で、なかなか先が見えてこない。
しかもぼくには文章が頭にすっきりと入ってこない、寝転んで読んでいると、時々取り落としてしまう。
「英国推理作家協会賞受賞作」だから、これからおもしろくなるなる、とがんばってみる、すると後半部分からの展開は手が離せない。
「ああ」
「まるで "死んだライオン" ね」
「なんのことだ」
「子供の遊びよ。寝転がって、じっと動かないで、死んだふりをするの」
「最後はどうなるんだ」
「しっちゃかめっちゃかよ」
先週読んだ、『ザ・カルテル』と比べると地味な物語の展開です。
英国の読書人は、ありそうな地味な筋運びと次ような言葉のやりとりに、案外ミステリーのおもしろみさや深みをみているのかも知れない、とぼくは感じました。
ひとは年をとると、変化についていけなくなるだけでなく、いろいろなことが知らないうちに変わってしまうことを学ぶようにもなる。
最近はこんなふうに小さなことがひとつひとつ積み重なって一日がゆっくりと動きだす。若いころはベルの音のようにすべてが一気に始まったものだが。
「暗号課の職員を馬鹿にしちゃいかんな。どこの行政官庁でもそうだが、実際の仕事は全部下っ端の人間がする。上の連中のするのは会議だけだ。
仕方がない。とりあえずやらせてみよう。失敗したら、ウェブを流木に縛りつけて、海に投げ捨て、カモメの餌にすればいい。そのときにかける言葉は、"自分の力を買いかぶりすぎたようね"だ。マスコミに注目されたのが間違いの元だったのだ。
禿げ頭の男は大勢いて、昨今の男にとって、禿頭は悲劇というよりファッションではないかと思えるくらいだった。
『 死んだライオン/ミック・ヘロン/田村義進訳/ハヤカワ文庫NV 』
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