今週は、この3冊。
窓際のスパイ/ニセモノの妻/毒殺師フランチェスカ
■窓際のスパイ/ミック・ヘロン 2016.8.6
ミック・ヘロンの『死んだライオン』を読んだ時、シリーズ作品の一冊であり、前作があることを知りました。
それで、早速、読んでみました。
『窓際のスパイ』。
「訳者あとがき」によれば、「文中には、わかる者にはわかるギミックがあちこちに仕込まれている」とのことであるが、ぼくにはわかりません。
作者が仕込んだ仕掛けが分かればさらにおもしろく、読んでいて思わず、"にたり"と出来るのでしょうが。
次の文章で、少し考えた。
<泥沼の家>では、キッチンに一度にひとり以上の人間がいることはめったにない。
物語を読んでいると、<遅い馬>たちは、キッチンを普通に使っていてるようだ。
となれば、この文章は、少々........ほとんど常時、誰もいないことになる。
ひとはみな、ある種の出来事は他人の身にしか起きないと思っている。死もそのひとつだ。
ラムは言った。
「上司が部下を犠牲にするのは許されないことだ。それ以上に悪質な背信行為はない。パートナーがしたことはまさにそれだ。彼は、キャサリン・スタンディッシュを自分の盾にした。きみもいまそれと同じことをしようとしている。仰せのとおり、わたしは古い人間だ。そういったことを繰りかえさせるつもりはない」
『 窓際のスパイ/ミック・ヘロン/田村義進訳/ハヤカワ文庫NV 』
■ニセモノの妻/三崎亜記 2016.8.6
『ニセモノの妻』には、四つの短編が収められています。
ぼくは、『坂』が一番面白かった。
思い立って、「東京の坂」で検索してみました。
坂名、これが思いのほか、面白く時間のたつのも忘れて、のめり込んでしまった。
坂学会/東京23区の坂より引用
これは、読めなかった「坂」の名です。
------------------------------------------------------------
皀角坂(さいかちざか)
昔、サイカチの木がたくさんあったため、坂の名となった。
茱叟坂(ぐみざか)
道の両側にグミの木があったため、この名がついた。
御厩谷坂(おんまやだにざか)
徳川将軍家の厩舎があったために御厩谷と呼ばれ、御厩谷にかかる坂ということにより坂名となった。
面白そうな坂の名だが、なるほど。
------------------------------------------------------------
幽霊坂(ゆうれいざか)
昔は樹木が鬱蒼としていて、昼でも気味悪い道だったため、この名がついた。
のぞき坂(のぞきざか)
坂上から坂の途中・坂下にかけて急に角度を変えているので、坂上からの見通しができない。
途中まで行かないと坂下が見通せないので、「のぞき坂」となった。
(ケシカラヌコトを連想しませんでしたか、アナタ。)
解剖坂(かいぼうざか)
病院の裏にあるためか。
於多福坂(おたふくざか)
坂の途中で傾斜がゆるやかになって、また下るので、お多福面のようだと、名づけられた。
昭和の希望がいっぱいのあのころ。
------------------------------------------------------------
希望の坂(きぼうのさか)
昭和53年、公募による坂名。
希望にみちた子どもたちの将来を願って、この名になった。
坂名に興味を持ち始めたきっかけは。
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三分坂 (さんぷんざか)
急坂のため 通る車賃を銀三分増したため、この名になった。
東京で友と飲んだとき、飲み屋に行く途中、ここを通りながら話題になった坂。
ぼくの思い出坂。
ぼくには、少々分かりにくかった短編「ニセモノの妻」でした。
遠く離れた場所で、まったく同じ思い出と記憶を共有した、まったく別で、まったく同じ妻を前にして、僕は何事もなく生きていけるだろうか。
それとも僕は、癒やし得ぬ悲しみを抱えて、遠く離れた妻を想うのだろうか?
『 ニセモノの妻/三崎亜記/新潮社 』
■毒殺師フランチェスカ/サラ・プール 2016.8.6
『毒殺師フランチェスカ』を読みました。
ロドリーゴ・ボルジアが教皇アレクサンデル六世となり、その息子、チョーザレ・ボルジアが暴れまわった、ルネッサンス期のもっとも興味深い時代が作品の舞台である。
さぞ、面白いだろうと期待して選んだのですが.......。
それに、「ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リスト常連作家が新ジャンルにペンネームで挑んだ、という説も」とあったのだが。
ロドリーゴ・ボルジア
ローマ教皇アレクサンデル六世は、政治腐敗と不品行に堕落したルネサンス期ローマ教皇の典型例だといわれている。
ジュリア・ファルネーゼ
ローマ教皇アレクサンデル六世の愛妾の1人。
「麗しのジュリア」を意味するジュリア・ラ・ベッラと呼ばれた。
ジュリアは1499年ないし1500年まで教皇の愛人であったが、この時期には年齢を重ね、教皇の寵愛を失ったように思われる。
1524年、兄アレッサンドロ枢機卿の邸宅で亡くなった。
50歳だった。死因ははっきりしない。
ラファエロの描いた「一角獣と貴婦人」は、ジュリアの肖像画と思われている。
(引用は、Wikipediaより)
ジュリアは、1474年生まれであるから、アレクサンデルの寵愛を失ったのは、25、26歳頃か。
アレクサンデルの好色さが、うかがえれような話です。
ジュリアは、その後の人生をしっかり歩んだようです。
このような話から、この「毒殺師」で描かれている、ロドリーゴ・ボルジアの人物像は、ぼくにはしっくりとこなかった。
人というものは感情が揺さぶられてこそ、外観に人生の物語が認められるということ。そうした感情こそが世界と繋がる基本なのだ。彼らにはそこが欠けている。そしてなによりも危険な存在となる。
悪魔は裏口から変装して入ってくる
『 毒殺師フランチェスカ/サラ・プール/三角和代訳/集英社文庫 』
窓際のスパイ/ニセモノの妻/毒殺師フランチェスカ
■窓際のスパイ/ミック・ヘロン 2016.8.6
ミック・ヘロンの『死んだライオン』を読んだ時、シリーズ作品の一冊であり、前作があることを知りました。
それで、早速、読んでみました。
『窓際のスパイ』。
「訳者あとがき」によれば、「文中には、わかる者にはわかるギミックがあちこちに仕込まれている」とのことであるが、ぼくにはわかりません。
作者が仕込んだ仕掛けが分かればさらにおもしろく、読んでいて思わず、"にたり"と出来るのでしょうが。
次の文章で、少し考えた。
<泥沼の家>では、キッチンに一度にひとり以上の人間がいることはめったにない。
物語を読んでいると、<遅い馬>たちは、キッチンを普通に使っていてるようだ。
となれば、この文章は、少々........ほとんど常時、誰もいないことになる。
ひとはみな、ある種の出来事は他人の身にしか起きないと思っている。死もそのひとつだ。
ラムは言った。
「上司が部下を犠牲にするのは許されないことだ。それ以上に悪質な背信行為はない。パートナーがしたことはまさにそれだ。彼は、キャサリン・スタンディッシュを自分の盾にした。きみもいまそれと同じことをしようとしている。仰せのとおり、わたしは古い人間だ。そういったことを繰りかえさせるつもりはない」
『 窓際のスパイ/ミック・ヘロン/田村義進訳/ハヤカワ文庫NV 』
■ニセモノの妻/三崎亜記 2016.8.6
『ニセモノの妻』には、四つの短編が収められています。
ぼくは、『坂』が一番面白かった。
思い立って、「東京の坂」で検索してみました。
坂名、これが思いのほか、面白く時間のたつのも忘れて、のめり込んでしまった。
坂学会/東京23区の坂より引用
これは、読めなかった「坂」の名です。
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皀角坂(さいかちざか)
昔、サイカチの木がたくさんあったため、坂の名となった。
茱叟坂(ぐみざか)
道の両側にグミの木があったため、この名がついた。
御厩谷坂(おんまやだにざか)
徳川将軍家の厩舎があったために御厩谷と呼ばれ、御厩谷にかかる坂ということにより坂名となった。
面白そうな坂の名だが、なるほど。
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幽霊坂(ゆうれいざか)
昔は樹木が鬱蒼としていて、昼でも気味悪い道だったため、この名がついた。
のぞき坂(のぞきざか)
坂上から坂の途中・坂下にかけて急に角度を変えているので、坂上からの見通しができない。
途中まで行かないと坂下が見通せないので、「のぞき坂」となった。
(ケシカラヌコトを連想しませんでしたか、アナタ。)
解剖坂(かいぼうざか)
病院の裏にあるためか。
於多福坂(おたふくざか)
坂の途中で傾斜がゆるやかになって、また下るので、お多福面のようだと、名づけられた。
昭和の希望がいっぱいのあのころ。
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希望の坂(きぼうのさか)
昭和53年、公募による坂名。
希望にみちた子どもたちの将来を願って、この名になった。
坂名に興味を持ち始めたきっかけは。
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三分坂 (さんぷんざか)
急坂のため 通る車賃を銀三分増したため、この名になった。
東京で友と飲んだとき、飲み屋に行く途中、ここを通りながら話題になった坂。
ぼくの思い出坂。
ぼくには、少々分かりにくかった短編「ニセモノの妻」でした。
遠く離れた場所で、まったく同じ思い出と記憶を共有した、まったく別で、まったく同じ妻を前にして、僕は何事もなく生きていけるだろうか。
それとも僕は、癒やし得ぬ悲しみを抱えて、遠く離れた妻を想うのだろうか?
『 ニセモノの妻/三崎亜記/新潮社 』
■毒殺師フランチェスカ/サラ・プール 2016.8.6
『毒殺師フランチェスカ』を読みました。
ロドリーゴ・ボルジアが教皇アレクサンデル六世となり、その息子、チョーザレ・ボルジアが暴れまわった、ルネッサンス期のもっとも興味深い時代が作品の舞台である。
さぞ、面白いだろうと期待して選んだのですが.......。
それに、「ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リスト常連作家が新ジャンルにペンネームで挑んだ、という説も」とあったのだが。
ロドリーゴ・ボルジア
ローマ教皇アレクサンデル六世は、政治腐敗と不品行に堕落したルネサンス期ローマ教皇の典型例だといわれている。
ジュリア・ファルネーゼ
ローマ教皇アレクサンデル六世の愛妾の1人。
「麗しのジュリア」を意味するジュリア・ラ・ベッラと呼ばれた。
ジュリアは1499年ないし1500年まで教皇の愛人であったが、この時期には年齢を重ね、教皇の寵愛を失ったように思われる。
1524年、兄アレッサンドロ枢機卿の邸宅で亡くなった。
50歳だった。死因ははっきりしない。
ラファエロの描いた「一角獣と貴婦人」は、ジュリアの肖像画と思われている。
(引用は、Wikipediaより)
ジュリアは、1474年生まれであるから、アレクサンデルの寵愛を失ったのは、25、26歳頃か。
アレクサンデルの好色さが、うかがえれような話です。
ジュリアは、その後の人生をしっかり歩んだようです。
このような話から、この「毒殺師」で描かれている、ロドリーゴ・ボルジアの人物像は、ぼくにはしっくりとこなかった。
人というものは感情が揺さぶられてこそ、外観に人生の物語が認められるということ。そうした感情こそが世界と繋がる基本なのだ。彼らにはそこが欠けている。そしてなによりも危険な存在となる。
悪魔は裏口から変装して入ってくる
『 毒殺師フランチェスカ/サラ・プール/三角和代訳/集英社文庫 』
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