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古い雑誌を見る

2019年10月17日 19時59分24秒 | 数学と言語学、及び宇宙論と哲学

 古い雑誌(数学ー岩波書店)を取り出して見ていると「フラクタル上の解析学の展開」と言うテーマが目に付く。いったい何の事なのか?と思い論説を見た。熊谷隆氏の論文ではフラクタル空間上での確率過程の挙動を調べる事と、出来れば、そのフラクタル空間での確率過程の理論構築が目的らしい。熊谷氏のIntroductionには、フラクタルという言葉は1970年代にFranceの数学者B・マンデルブローによってつくられた言葉で、一般の滑らかな図形とは異なる連続だが至る所微分不可能なものであり、ある意味では、相当むかしに高木貞治が提案した分岐モデルと似ている。マンデルブローはフラクタルを、不規則で細部にまた複雑な微細構造が殆んど無限に続き、且つ自己相似的な図形をそう呼んだ。一般に、このフラクタル図形が流行ったのはコンピュターが市販されてからの事だろうと思う。それは手製のマイコンキットがようやく市販され、何年かしてNECや富士通が市販目的でマザーボ―ドを付けた電子計算機を発売した頃のことである。

そう言えば、私が買った初めてのコンピュターはNEC製の9801VXという機種であり、インパクトプリンターも併せて、当時の値段で56万円という遊びには高額の値段であった。当時でも中古の車が買えた値段である。1985年の頃のことであるが、これでフラクタル図形を描く事が可能だった。OSはMSーDOSで、プログラムを一々打ち込むには忍耐が必要だった。この様な自己相似の異常な空間での図形の研究は、コンピュターの出現が無ければ不可能であり、コンピュターの力は非線形空間の研究に大いに影響を果たしたと思う。フラクタルもそうだが、カオスもコンピュターの力を借りなければ、あれほど急速に、非線形現象の挙動の探究が展開される事も無かっただろう。量子コンピュターが動き出せば、また新たに新分野が開拓されることに成ると思う。

フラクタル上の確率過程を構築する仕事をした熊谷氏は、自己相似形の二つの代表的なフラクタルであるシエルピンスキー・ガスケットとシェルピンスキー・カーペットを取り挙げ、簡単な方のガスケットを選択したらしい。たぶん一連のこの研究の目的は、フラクタル空間でのブラウン運動がどう展開されるかを知るための研究で、ユークリッド空間上の通常空間でのブラウン運動に比べて、フラクタル空間では、どこがどう違うのかを調べる事にあったのだろう。結論的には、フラクタル空間上では、ブラウン運動(ウィーナー過程)の挙動がユークリッド空間に比べて、粒子の拡散が遅く中々散り散りに成らない。シエルピンスキーのフラクタル図形では、三角形のガスケットの方が少し分りやすい。カーペットの方は正四角形のフラクタルで、小生は仏教曼陀羅の一つである「胎動界曼荼羅や金剛界曼荼羅」を、思い浮かべてしまった。

図形とは不思議なものだ、思いも拠らぬところに奇妙な一致がある。昨年の秋に道の駅でブロッコリーを買ったら、その隣にはジュリア集合とそっくりのブロッコリーが並んでいた。思わす買おうと手を出したら、カミサンに通常のブロッコリーを買ったからダメと言われてしまった。そう言えばジュリア集合のガストン・ジュリアはフランスに留学した岡潔氏の先生だったなと思った。一次大戦で鼻に重傷を負い、彼は亡くなるまで皮で作った鼻蓋いをしていたようだった。鼻に大怪我をして付け鼻をして居るのは、ティコ・ブラーヘと同じだなと思い出した、もっともチィコ・ブラーエの場合は学生時代の喧嘩の私闘である。その喧嘩の決闘で鼻を削がれたのだが。

新たな数学の分野は、分子遺伝学の方向で発展して貰いたいものだ。遺伝子の分子情報と形態形成の分野である。4種類の塩基3セットで、蛋白生成が行われる事は解明されたが、この遺伝情報と形態形成の分野の数学は、基本的な一歩でさえ確立さえされて居ないはず。例えば、人間の細胞中の遺伝情報と、形態形成の対応関係を数学的に明らかにすることが出来れば素晴らしいのだが、これが解明出来ないと、生物学は理論生物学には成長しない。数学の様な物事の関係性を明らかにする力が、この分子遺伝学の方向には絶対に必要であり、言語学と同様に数学の力が居るのではなかろうか。群を使い情報の構造を知ることは出来ないか。例えば位相空間論をDNA分子構造の解析に使えないか?など。どなたか好いアイデアの在る方はコメントを下さい。この方面に知識をお持ちの方は、是非教えてください。遺伝情報の構造にエントロピーが深く関係して居る事を感じるのだが、エントロピーには、反entropyの作用が有りそれが自己構成力の淵源になっている。

だいぶ以前に、世の中には多くの数学者が居るが、彼らは一体を研究しているんだろうね?と謂う話をした人が居た。「数学ってそんなに遣ることが有るの?」と、言いたいらしい。数学って紙と鉛筆が有れば好いんだよね。とも謂われた。確かに数学は余り大掛かりな道具は要らない分野の代表だろう。逆に言えばその分だけどこを使うかと云えば、想像力、思考力、空間認識力、概念分解力、展開力、みんな「力」だ、力と謂っても筋力を使う力ではない。最大限、脳に血流が流れて頭が熱くなり夜眠れなくなる。意識がそこに集中している。こんな状態を何時間も維持できる訳がない。この状態は歳を経るごとに意識的力が続かなくなる。人間の頭は時間と共に硬くなるが、無意識の力は続くのだろうと想うのだ。数学の真の仕事って新分野の開拓なのだ。それが仕事だ、入り口だけでも好い新たな分野を開拓することであり、あとは放って置いても好い。その後は世の秀才が道を舗装してくれるはずだ。

数学の発想アイディアには終点と言うものは無い、人間の想像力が続く限り無限に続く、これから先に発展するのは確率現象の方面だろう。そして次なる解明すべき分野は、人間の意識と神経網との関連だろう。そしてまた其れと関連する物として遺伝現象と遺伝分子構造の由来と創成だろう。もっとも存在の核心部に触れる分野であろう。これ等こそが数学と物理化学の探求すべき分野である。

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