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百姓の江戸時代ー田中圭一 を読む

2023年12月26日 15時28分07秒 | 日本文化論

 大人になっても、我々の多くは江戸時代が圧政に次ぐ圧政で、誠に悲惨な時代であると思っている節がある。その理由は中学・高校の教科書では、そのような風に記載されており、習っている為でもある。それ故に中・高・大を卒業しても、単に高校で日本史を学ぶ程度では、日本歴史を本当に疑問を持って根本から独自に研究する者で無い限り、頭に教科書の印象がこびり付いている。だが教科書の記載は本当なのか?、本当にそれが事実なのか?真実はどうだったのか?を、歴史愛好家は知りたいであろう。

「百姓の江戸時代」は、今から20年以上も前に出版されたこの本をp「筑摩新書」で読んだことがある。私は、その時に内容に驚いた。それは私が高校時代に習った江戸時代の農民は、「常に収奪された農民」という、定番的な左翼的虚構の説とは異なることが書かれてあった為だ。それ以来、私は陰ながら田中圭一先生を尊敬している。先生は、本物の実証に基づいて、江戸時代を何の先入観なしに考察・考究された稀有な人だ。佐渡の農家に生れ、家では小学・中学・高校・の学校時代にも、学校が引けると家に帰り、暗く成るまで父に従って家の農作業を手伝ったと書かれている。食事は8時過ぎで、その後の就寝の時間まで先生は勉強をされたらしい。この一時からして、先生の勉強の根本には机の上の知識だけでは無く、実測に照らした精神があった。何故なら江戸時代はすべて全農民が、幕藩体制のもとで一方的に収奪され、苦しめられていた時代だという虚構を吹き飛ばしてくれたからだ。江戸時代の日本人の9割は農民だった。その農民が本当に収奪されて居たのなら、江戸時代はもっと早く崩壊したであろう。江戸時代の農民は世の中の「基盤として」誇りをもって生きてゐた。そのことがハッキリと実証されたものがこの本である。

明治以来の、理・工学を省く分野には、概ね大學アカデミズムに、社会主義・共産主義が入り込み、その社会全体の内紛を醸成していた。その典型には、日本資本主義論争という物が在る。「共産主義の虚構を」大真面目に論争をしていた連中の頭の中には、事柄の肝心な背景が何も分かって居なかったし、その主張は、今から考えると丸で盲目な世界認識であり、将に噴飯物である。何かと言うと、共産主義・社会主義の本質は、猶太の世界支配の一手段であり、その様な背景の著作である「資本論」自体が、猶太金融資本家の要請によりモルデカイ(ドイツ語ではマスクスとも言う)に依り書かれたものであることが、今ではハッキリと証明されているからです。シティとマルクスは同じ穴の狢です。特に顕著なのは敗戦後の日本を6年7ヵ月間統治したGHQである。このGHQの主体は主にCIAの元の機関であるOSSという組織でした。OSSにはドイツを脱出したfrankfurt学派の多数が流れ込んだ。私も若い頃に読んだ、マルクーゼ、フロム、ホルクハイマー、アドルノ、などがOSSに加わった。GHQの主体は金融資本が養成した左翼活動家であり、日本のアカデミズム学会は大正期に赤化が進み、特に戦後は、更に一様に赤化が一層進んだ。学校の教科書も民生も法律も6年間の間に、日本解体の設計図を社会に埋め込んだ訳です。この様な教科書を使えば、歴史は暗記と心得て丸呑みし、江戸時代史を「隷従と抑圧の時代である」と考えて仕舞うのは尤もな事なのです。では、本当の江戸時代とは、どんな物であったのでしょう。田舎の旧家に残る文箱資料を基に、庶民の歴史を再考察したのがこの百姓の江戸時代です。読んでみて損の無い新書です。恐らくは、今までの江戸時代に対する印象が変わる事でしょう。

今の社会とは異なり、古代~中世以来の家族は大家族でした。名主(みょうしゅ)夫婦の下に、その子供、父母、兄夫婦とその子供、弟夫婦とその子供、何人もの下男、下女、などで構成され、家族は20人~30人という大家族でした。30人がひとつの屋根の下に暮らしてゐたのです。田中圭一先生のご著書では、「中世は身分制度の時代であった」と、お書きに成られている。身分とは何か?「中世に在っては人の身分が固定してゐて、それを変更する事は許されなかった。身分に基づく主従関係によってつくりだされた社会を封建社会と呼ぶのだが、それは土地の支配関係の中から生まれたものである。この様な関係が永く続いたが、やがて戦国時代を迎え、それは百姓名主と領主の関係にまで及ぶと共に、世の中は大きく変わり始めた。そのころまでは、家はいくつもの家族で一軒が成り立っていた。この様な家族の構造は中世の名残であり、やがて「天和二年(一六八二)の検地」で、同居家族がそれぞれ名子として、自分の耕す田畑を所有地として独立して行くのである。」と、書かれている。現在の家族制度しか知らない人々には、中世の家族制度は想像できまい。

大家族というのはいわば血族でもある。そしてその血族は、娘をを嫁に出したり、婿を迎えたりして、親族が広がってゆく。江戸時代よりもモット以前、平安から鎌倉期には、娘が後を取り婿を迎えるというのが一般的であったという話を聴いた事がある。日本の遠い古代は母系制であったらしい。婿入り婚という社会は実に面白い気がする。

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