「空間は存在しない」という記事を見たのはもう何年前の事だろう。質量の起源に関しての事なのだろうという想像だ。空間には速度を邪魔する未知の粒子が詰まってゐて、まったくの空っぽな空間は存在しないという事で、その粒子をヒッグス粒子と呼んでいる。これもまた奇妙な存在だが、それは粒子という呼び名で果たしてその概要を表現できるのだろうか?。質量は原子毎にその構成原子の存在数で重さが決まっている。質量の起源が構成原子の動きずらさだと言っても、その動きずらさを決めているのがヒッグス粒子だという理屈である。空間(空っぽという意味での)は存在しない。それはヒッグス粒子がビッチリと詰まっていて空っぽの空間など存在しないという意味なのだろう。そうするとヒッグス粒子とは空間そのものではないのか?、ならば我々が今まで空間という概念で理解して来た物は虚構なのかも知れない。またガモフが赤方偏移の事実から想像した宇宙の一点からの膨張は、これも少し納得できない面はある。もしもこの宇宙がある一点から膨張をはじめ、それが今も尚膨張が進んでいるとしたら、宇宙の外側は存在しないものである。この宇宙は飽く迄も内的な空間であり、宇宙のホライゾン地平線は内的な宇宙には適応できても、外側は存在しないのだから、我々のこの宇宙は飽く迄も膨張膜の内側にしか無いないという事だ。ガモフの余りにも素朴な大爆発の宇宙像は単純過ぎて多くの点で疑問が湧きます。
そして生命とは小さくは素粒子によって構成される或る条件の下でその反応が継続する形式の現象であるが、最小単位の構成子から生命までの発展的展開は辿る事が難しい。精々化学現象の下に生命体を理解するのがやっとの段階であろう。遠い将来に我々の知能の飛躍的発展が出来るのならば、その答えは得ることが出来るであろう。化学的レベルでは生命形態の理解はこの百年間で相当な進歩を見た。恒常性を保つ機能と生殖を行ない次の世代を産む、それが生命の形態だ。個体は必ずその反応を止める時が来る。その持つ遠い昔からの遺伝子の情報を次世代に繋ぐ為には卵子と精子の合体が不可欠だ。あらゆる生命体はそのようにして次世代を産んできた。もしもそれが途絶えるならその生物は地上より絶滅したと言える。
生命体の現象で、最終的に突き止めたいのはこころの探求である。それは意識と呼んでも好い。化学構造から脳(心)が生まれる現象の事である。これが今の所、想像できるもっとも根源的な問いである。