すみません本日は従業員さん慰労会が企画されているので
午後5時で営業を終了させていただきます。
商売柄 忘年会という行事が出来ない代わりに
新年会を暦で春を迎えるり立春を目処に毎年行ないます。
節分という節目を向かえ
新しい流れに切り替えと
慰労の二つの意味を持ちます。
平成元年に独立して小さなタイヤ屋を開業してから27年目
当時28歳がまもなく55歳の誕生日を迎えます。
その間 個人経営から法人化という節目もありました。
有力スポーツ用品店ヒマラヤさんの下請けでスキー板のチューニングアップのファクトリーも運営しました。
岐阜市加納で中古アルミ・タイヤ専門店を運営した期間もあります。
いろいろな挑戦をし見切りをつけての撤収も多数しています。
失敗を繰り返しながらも致命的な失敗をしてないともいえますが・・・。
タイヤ屋を始めて3年目に始めたスキーチューンアップの仕事は
スキーにまったくの素人でしたからまさに「アホ」である証明です。
振り返ってみると良識のある人なら絶対やらない事に飛びつく「アホ」といった要素が私にはありました。
タイヤ屋の開業にしても 金なし場所なし職なしのナイナイ尽くしからスタートしました。
おまけに開業時 お世話になった建設会社の倒産に巻き込まれて運転資金まで結果的に失って・・・。
開業から1ヵ月半めの初回仕入れ支払日に 現金がなくて仕入れた商品を返品して
もともとなかった信用もさらに無くして・・・・・トホホホです。
それでも「今」があるのは 「ツキと運」だけは無限にあると思えます。
このあたりの話を書くと長くなるのでここまでにしますが
今では「アホさ」こそが財産であると感じるまでになりました、
「アホ」であるから「ツキ」が巡ってきたとき パッと掴むことが出来ます。
考えるタイプではない事は確かです。
そのアホが12年前にある場所を通りがかっていた時
貸地の看板を見つけてパッと飛びついたのが「スゴウ店」です。
ダボハゼのようです、すると交渉がとんとん拍子に進んで開業です。
開業はしてみたものの タイヤ屋は冬春の忙しさに比べ夏秋のヒマさは人心を蝕みます。
どうしようとと思ったとき 「洗車を店先で行なうなら従業員さんのヒマ疲れの解消にはなる。」
とした単純な回答を得ました。
これもパァッと掴んでのですが
洗車をすることに不満がある人は去って加納にあった
中古タイヤ専門店は7年の営業で閉店させました。
経営者の視点ではヒマな時の資金繰りも大変なら
従業員さんに仕事を見い出してもらうのも大きな仕事です
タイヤ屋という既存の価値観に染まっている人には
「洗車」という仕事は押し付けられた感じを受けてしまうのでしょうね、
タイヤ交換や足回りの交換・マフラーの装着ならやるけど
洗車は畑違いという当然のスタンスです。
それでも当時の店長は 私がタイヤ屋を開業した当時「ポリガード」という
コーティング仕事を教えてもらって苦境をしのいだその場で
アルバイトをしていた経験のある人だったので
「洗車」がタイヤ屋にもたらす価値が解かってくれました。
洗車の始まりは
1つにタイヤが売れないから
2つにヒマ疲れの解消といった
自己勝手な理由なのです。
それがいつの間にか主力商売になろうとするまでなったのは
もちろん教えてもらった師匠とのめぐり合いという
やはり運のよさと「ツキ」のお陰です。
そんなこんなで
私にとって「タイヤ」とは?
・私の人生の先導者
・生活の糧をもたらしてくれるモノ
・お客様との架け橋
・会社を未来に運んでくれるタイムマシーン
・従業員を育ててくれる先生
・変化に対応することを身をもって教えてくれる師匠
・人とのご縁を結んでくれる神
商品であり先生であり師匠であり縁結びの神というものであり
蹴っ飛ばしても動じず 投げつけても笑い飛ばす 取っ組み合うライバルです。
商品というだけの存在ではありません。
そんなタイヤが運んでくれる未来は「イマージン車美容業」
グランドデザイン100年100店舗に示した未来絵図
その第一節P1がこの節分で終わり
明日からP2が始まろうとしています。
タイヤのタイムマシーンは私たちを未来に運んでくれます。
もちろんパンクしたりバーストしたりして放り出されるリスクもありますが
ドライバーとしてキーパーコントローラーに指名した
高山KPS岐阜店長のドライブテクニックは優秀ですし
各種メーターの役割りを果たす
タイヤ課キーパー課管理部門にベテランが支援しますから
目的地に向かって進む道を間違えず
みんなが付いてこれる速度でいけると感じます。
私はさらに大きなツキと運に恵まれています。
ありがたいことです。
午後5時で営業を終了させていただきます。
商売柄 忘年会という行事が出来ない代わりに
新年会を暦で春を迎えるり立春を目処に毎年行ないます。
節分という節目を向かえ
新しい流れに切り替えと
慰労の二つの意味を持ちます。
平成元年に独立して小さなタイヤ屋を開業してから27年目
当時28歳がまもなく55歳の誕生日を迎えます。
その間 個人経営から法人化という節目もありました。
有力スポーツ用品店ヒマラヤさんの下請けでスキー板のチューニングアップのファクトリーも運営しました。
岐阜市加納で中古アルミ・タイヤ専門店を運営した期間もあります。
いろいろな挑戦をし見切りをつけての撤収も多数しています。
失敗を繰り返しながらも致命的な失敗をしてないともいえますが・・・。
タイヤ屋を始めて3年目に始めたスキーチューンアップの仕事は
スキーにまったくの素人でしたからまさに「アホ」である証明です。
振り返ってみると良識のある人なら絶対やらない事に飛びつく「アホ」といった要素が私にはありました。
タイヤ屋の開業にしても 金なし場所なし職なしのナイナイ尽くしからスタートしました。
おまけに開業時 お世話になった建設会社の倒産に巻き込まれて運転資金まで結果的に失って・・・。
開業から1ヵ月半めの初回仕入れ支払日に 現金がなくて仕入れた商品を返品して
もともとなかった信用もさらに無くして・・・・・トホホホです。
それでも「今」があるのは 「ツキと運」だけは無限にあると思えます。
このあたりの話を書くと長くなるのでここまでにしますが
今では「アホさ」こそが財産であると感じるまでになりました、
「アホ」であるから「ツキ」が巡ってきたとき パッと掴むことが出来ます。
考えるタイプではない事は確かです。
そのアホが12年前にある場所を通りがかっていた時
貸地の看板を見つけてパッと飛びついたのが「スゴウ店」です。
ダボハゼのようです、すると交渉がとんとん拍子に進んで開業です。
開業はしてみたものの タイヤ屋は冬春の忙しさに比べ夏秋のヒマさは人心を蝕みます。
どうしようとと思ったとき 「洗車を店先で行なうなら従業員さんのヒマ疲れの解消にはなる。」
とした単純な回答を得ました。
これもパァッと掴んでのですが
洗車をすることに不満がある人は去って加納にあった
中古タイヤ専門店は7年の営業で閉店させました。
経営者の視点ではヒマな時の資金繰りも大変なら
従業員さんに仕事を見い出してもらうのも大きな仕事です
タイヤ屋という既存の価値観に染まっている人には
「洗車」という仕事は押し付けられた感じを受けてしまうのでしょうね、
タイヤ交換や足回りの交換・マフラーの装着ならやるけど
洗車は畑違いという当然のスタンスです。
それでも当時の店長は 私がタイヤ屋を開業した当時「ポリガード」という
コーティング仕事を教えてもらって苦境をしのいだその場で
アルバイトをしていた経験のある人だったので
「洗車」がタイヤ屋にもたらす価値が解かってくれました。
洗車の始まりは
1つにタイヤが売れないから
2つにヒマ疲れの解消といった
自己勝手な理由なのです。
それがいつの間にか主力商売になろうとするまでなったのは
もちろん教えてもらった師匠とのめぐり合いという
やはり運のよさと「ツキ」のお陰です。
そんなこんなで
私にとって「タイヤ」とは?
・私の人生の先導者
・生活の糧をもたらしてくれるモノ
・お客様との架け橋
・会社を未来に運んでくれるタイムマシーン
・従業員を育ててくれる先生
・変化に対応することを身をもって教えてくれる師匠
・人とのご縁を結んでくれる神
商品であり先生であり師匠であり縁結びの神というものであり
蹴っ飛ばしても動じず 投げつけても笑い飛ばす 取っ組み合うライバルです。
商品というだけの存在ではありません。
そんなタイヤが運んでくれる未来は「イマージン車美容業」
グランドデザイン100年100店舗に示した未来絵図
その第一節P1がこの節分で終わり
明日からP2が始まろうとしています。
タイヤのタイムマシーンは私たちを未来に運んでくれます。
もちろんパンクしたりバーストしたりして放り出されるリスクもありますが
ドライバーとしてキーパーコントローラーに指名した
高山KPS岐阜店長のドライブテクニックは優秀ですし
各種メーターの役割りを果たす
タイヤ課キーパー課管理部門にベテランが支援しますから
目的地に向かって進む道を間違えず
みんなが付いてこれる速度でいけると感じます。
私はさらに大きなツキと運に恵まれています。
ありがたいことです。